投稿日: Mar 05, 2016 1:30:15 AM
今はマルチメディアもスマホで利用できるようになったものの、1980年代から何度も挫折を繰り返してきたことを思うと、今は夢多きユビキタスやVR、またIoTに関する多くのアイディアも、すぐにビジネスとして離陸するものはほんの一部で、20-30年かけての紆余曲折を経て社会に浸透するのかもしれない。
ハイプサイクル・ハイプカーブのことを、記事『インフラ・ビッグデータ・仮説』その他で書いたが、ホットな話題を作り出す黎明期の技術が実用化するまでには、未だに10年以上かかり、その間に幻滅期を耐えて生き残らなければならない。今ベンチャービジネスに飛び込む人のうちで、そういった厳寒期を想定してビジョンを作っている人はあまりいないだろう。
ハイプカーブというのはベンチャーを谷底に突き落とすような逆説を包含しているという点では非常に哲学的で、この哲学に取り組める資質はビジネスの側からは出てこないだろう。
よくネットに出てくる若いベンチャー経営者の言説を見ていても、やはり中心は目下2-3年のビジネスの話ばかりで、その先の社会のことは考えていないなと思わされるのは、市場主義的な考え方が多いからだ。社会の改革でも何らか循環するメカニズムを作り出せば、あとはなるがままにまかせておいてもよい、という考えだ。
しかしどんな社会問題にもすぐに循環するメカニズムが作れるわけではなく、社会の改革としては斑な状態になってしまって、結局のところ改革の積み重ねにはならないだろう。部分的なメカニズムを考えるのは場当たり的な発想になりがちで、そういう断片的な指向は社会に向き合った考えとはいえないと思う。
なかなか一個人で社会に向き合うのは難しいのだが、モラルとか宗教というのが強い国はソーシャルな分野も発達するので、その中で未来に向けての思考訓練もされる機会がある。
つまり20-30年先の社会を考えるような思考訓練が日本のエリート層には欠けているような気がする。近年は日本人のノーベル賞が多いのも、そもそもは20-30年あるいはもっと前からの取り組みの結果であって、やはりITやコミュニケーションが求められるソーシャルな分野でも将来から逆算して今の課題を考えることが求められているのではないだろうか。
日本の20-30年先というと、高齢化社会の山を越した時代に入っているわけで、今のように都会は込み合っていないかもしれないし、地方にも自立的な社会が生まれているかもしれないので、今の日本のしがらみに縛られた考えも不要だろう。高齢化という重い荷物を下ろしたあとの日本を考えるのも楽しいのではないか。
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