投稿日: Apr 28, 2014 12:22:36 AM
富岡製糸場跡とかいうのが世界文化遺産になるとかでこの連休も観光の目玉になろうとしている。この報道はよく見ていないので、この場所にどんな面白いものがあるのか知らないのだが、ウチの子供は何も見る価値のあるものは無いように思っている。そもそも何で古い工場跡が世界文化資産になるのかわかっていないようだ。それはどうもヨメも同様で、日本国内の理解はおおむねそんなものかと推察する。もし出かけて面白いものは見られるなら、もっと以前から有名な観光スポットになっていただろうに、今までは観光案内に出ていたのであろうか?
子供のころ、ふとんカバーが絹製ですべすべして感じがよく丈夫であったと記憶している。これは第2次大戦の落下傘を作り変えたもので、落下傘のヒモである絹のロープも家庭で使われていた。当時の木綿や化繊とは比べようもないものであった。戦後の日本は絹の感触や絹の高級感は次第に忘れられていったのではないかと思う。
最近の富岡製糸場跡に関するニュースでは、明治になって日本が外貨獲得するのに大いに貢献したというような解説がされていたが、それを契機に当時の日本の輸出産品がどのようなもので、どこでどう評価されていたのかというように話題が発展すればよいのだが、たいていは外貨を稼いだことに留まっている。
しかし例えばGoogleの画像検索で Japanese Silk と入れれば、世界とくに欧米で日本の絹製品がどのようなものと思われているのかが伺える。富岡製糸場跡が「文化」遺産となるのは、世界的に見ても日本の絹製品がよきもの、一目置かれるものであるからなのだろう。つまり日本の中の報道ではこういった文化面が全然伝えられていないのである。
これは幕末から欧米との交流が始まって、とくにヨーロッパではジャポニズムというトレンドが発生し、その生産拠点であったところの富岡製糸場跡が着目されたということなのだろう。
西欧の絵画でも日本の絹製品をまとった女性が描かれていたり、当時の文学・音楽でも形容で japanese silk が価値あるものとされているものはいろいろある。今でも日本の繊維製品は輸出はされているが、ファッションブランドとしては圧倒的な輸入超過で、モノつくりに留まっている日本の産業政策と、文化産業化している欧米の服飾業界の対比を感じさせられる。
報道とかメディアという分野においても、日本の中では日本文化の再発見がまだされていないのだなあと感じた。