投稿日: Mar 21, 2016 12:56:17 AM
果たしてソーシャルな活動はビジネスになりえるのだろうか?メディアはソーシャルな活動にとって好都合に安価で利便性のよいものになってきたが、メディアの使用という視点からソーシャルビジネスを考えても、実際にはなかなか離陸し難いようだ。
それはソーシャルな活動の多くは賃金の支払いで労務を提供してもらうスタイルではなく、どちらかというとボランティア的な協力姿勢を働く人に求めているからで、ある時に志の高い人が集まると、うまく組織運用ができても、人手不足などになると活動も鈍ることになる。
つまりソーシャルとかそれに近いビジネスである保育・介護などは、あるいは病院なども、労働者にボランティア的な要素を求めてしまうことがあり、教会や寺院など宗教団体が運用する場合は最初から理念の中にボランティア的な要素をうたって人集めをするし、そのような選考基準で合意を取り付けての採用・教育がある場合は何とかまわるにしても、一般の営利目的がそれらのフリをするとどこかで破たんが起きるとか問題が起きるのではないか。
宗教団体が福祉事業をすることは歴史が長く、人材育成とか管理のノウハウが溜まっていると思うが、単に営利だけしていたところが労働形態とか賃金体系は営利のままにして、「志をもって働け」などと声をかけてもうまくいかないのは道理だ。まずソーシャルなビジネスをしようと考えたら、組織のトップから管理層が相応しい人材で固められなければ、宗教団体の品質には届かないだろう。
逆にそういった会社組織ではなく、個人で何らかのソーシャルな志をもった人に活躍の機会を与えることは、メディアとかネットの仕組みで可能になるかもしれない。例えば民宿がスキー・スノボ客向けとか登山家向けなど特定の人を意識しているように、民泊の仕組みを使って特定の目的の人々のために何かをするなどは、ネットのプラットフォームでやりやすくなるだろう。ある意味では利用者の敷居を高くして、選別することで、密な関係を作ることも可能になる。
ネットのオークションでは会社・商店が出品するものと、個人が出品するものがあるが、趣味嗜好のモノの場合は個人出品の方が対応が良く料金も安目の場合が多く、これは同好の志向けのサービスであるという意識が働いていると考えられる。
つまり売買でもサービスの提供でも、両者の間にシンパシーがあってつながるということが可能になるのが、シェアエコノミーの伸びる領域ではないかと思う。
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