投稿日: Feb 29, 2012 12:47:49 AM
ボカロの可能性を考える方へ
最近NHKが初音ミクをよく採り上げている。TV番組を真剣に見ることはないのは、ものすごく端折って番組進行をするから、そのテンポが自分に合わないからだ。それは仕方が無く、本で言うと斜め読みのようなのがTV番組だと思えばよいのだろう。このボカロが音楽産業の根底に打ち込んだ楔は非常に大きく、人が音楽を楽しむことを変えてしまう可能性をもつ。これはシンセサイザがオーケストラを超えるほどの和音を可能にし、指揮者がプログラミングを学べば自分のイマジネーションを表現する手段としては今までに無いこともできるようになったことと同じである。シンセの天才が生まれたように、ボカロの天才も現れるだろう。しかしそれはもうひとつ別の広がりももたらす。
こういうことはCG、動画などいろんなところに起こっていて、その隅っこの方にeBookもあるといえる。次世代のeBookを考えるときに、指揮者が理想のバーチャルオーケストラをつくるような、編集者の立場なら理想の文学全集なり理想の企画モノができるとか、作家の立場なら自分の生涯を通して延々と続く連載本を出すとか、過去の作品の異説を作るとか、自由な出版ができる可能性も議論されるとよい。またWikiのような共同編集が行われているので、この延長上のeBook制作というのもあるだろう。eBookに紙の本のようなパッケージメディアの完結性を求めるのは、新たな展開にはならず、むしろeBookはテキスト・コンテンツを開かれた素材として提供するものだと考えた方がいい。
読者の立場でも、いろんなデバイスで読むことや読み上げが可能なことで、テキストコンテンツの利用の仕方が可能になる。ボカロでいえば誰かが詩のバックに音楽をつけるとか、eBookなら誰かがBGMのPlaylistを用意するとか、マッシュアップ・リミックス的な参画する楽しみが出てくるであろう。こういうことは無理無理アイディアをひねり出すのではなく、今ボカロを含めて若い人が手弁当でコラボしている姿の先に、自然に出てくるはずだ。コンテンツとかメディアというのはパッケージに閉じ込められるものではなくなり、改変・変形を続けていく。実は今までもコンテンツのリメイクはさんざん行われていたのだが、それがデジタルによって、マッシュアップとコラボという2つの要素が容易になって促進されるわけである。
初音ミクで表出した現象は、マッシュアップとコラボができる世代とか人々と、単一メディアに篭っている人々の間のギャップをを思い知らされた気がする。単一メディアの職人からするとマッシュアップとコラボをする意味が理解できないであろう。しかし古来から音楽とはそういうもので成り立っているのであり、舞踏やミュージカルという形で身の回りにあるもので、珍しくは無い。人間の脳を考えてみても、音楽を聴くというのは、歌詞という言語理解、人の声という自然の一部、リズムという身体機能、呼吸、それにライブなら視覚が入って、脳のいろいろな部分が同時に働くもので、音楽は右脳と単純に決め付けられないものである。だからマッシュアップは人間に備わった自然な表現だといえるし、マッシュアップの中で音楽の果たす役割は大きいはずだ。
ボーカルを楽器にしてしまったボカロが切り開くマッシュアップとコラボ革命に、いろいろなメディア・コンテンツが引きずられていくのかもしれない。柔軟な発想のためにはコンテンツ中心主義を脱しなければならない。