投稿日: Dec 10, 2010 11:5:11 PM
電子書籍は空騒ぎかと懸念する方へ
本と読書端末は等価と考えようとしている人が多い。自炊は何かと考えると「本」と言う肉なる命を捨てて、霊としてのコンテンツが永らえるような位置づけかなと思う。本のモノ性を無くす事にどのような良いことがあるのか、可能性があるのか、ということはあまり話されていない気がする。もともと本を持ち歩けばどこでも読書はできるものだが、読書端末は書架ごと持ち運べるくらいなもの、あるいは書斎ごと、居間ごと人に付いてくるものなので、移動中の人の時間の使い方が変化する。ケータイとかモバイルPCではどこでも通信でリアルタイムにコンテンツにアクセスできる動的な装置だが、それと読書端末はちょっと違って、自分の世界を端末の中に作りこむ装置ともいえる。前述の書斎や居間の持ち運びとはそういう意味である。
しかし実際の書斎に相当するものを持ち運ぶ必要は無く、そのうちからこの1週間くらいに読みたいものをセットできることが読書端末の役割だろう。携帯音楽プレーヤにplaylistを設定するようなことが、電子書籍や動画でもされるようになるのではないか。これはライフスタイル的に面白い現象で、従来のマスメディアの番組予定に対して受身で接していたのとは逆で、編成やスケジューリングを自分で行う情報受容モードへの転換である。現実には人類すべてがそうするわけではなく、読書家など情報好きの性向ではあろう。読書端末は自分の読書予定管理が重要となり、自分の脳に本のコンテンツを運ぶためのショッピングカートのようなものかとも思う。
この読書予定管理がうまく回るための読書モデルというのを整理してみた。紙の本の場合は本屋に立ち寄って見つけてもらうので、書店は本を空間的にうまく配置していた。そういう点では電子書籍はWeb、スマートフォン、デジタル放送の隙間に見つけてもらう機会を作らなければならない。例えば検索連動とか、ニュースなり番組の中のキーワードに関連して、人が1秒~数秒留まるところに、見出しやタイトルや著者名が、そこからかあるいは関連記事から書評やサンプルページが見られるようにして、せいぜい1分~数分くらいで読めるショートコンテンツが作られている。それらから購入に進むとか、解説・評論とかフリーミアムをダウンロードして読んでもらうところからが読書端末の世界になる。
これで電子書籍が売れてメデタシとなるのだろうか? 記事『読者置き去りの電子書籍論』では、貸本も古本も蔵書も活かすことを考える必要性を書いたが、読んだ電子書籍をベースにこれから何をどのように読み進めばよいのか、というところにつながることが販売促進であるし、それは直接の販売だけでなく、読者の蔵書や無料のアーカイブも巻き込んで、読者の端末に読みたい世界を創り出すことが、巡り巡ってよい本と出合うライフスタイルを作って行くだろう。そういう好循環を起こすトリガーとして読書端末が設計されるとよいと思う。
読書モデル