投稿日: Nov 23, 2010 12:1:35 AM
Facebookは黒船だと思う方へ
今年Facebookの利用者が5億人になったことがいろんなところでとり上げられているのは、ネット史上でも前例の無いことだからだ。この「前例の無い」ことを起こす力にもっと注目する必要がある。日本にはモノ作り神話がはびこっっているが、それは日本がかつては世界の工場であって、前例の無いことをいっぱい行ってきたからである。今は世界の工場は中国へシフトした。では日本はどのようなテーマを掲げて「前例の無い」ことにチャレンジしていけるのであろうか?
例えば自動車会社で、従来からの車種は製造販売しているが、新車を開発する力がないとすると、その会社はどう評価されるであろうか? 今の日本のマスコミはそれと同等の状態にある。マスメディアが発展していた日本の成長期においては、出版なら雑誌、mook、漫画からアニメ・キャラクタビジネスなどの展開をしたし、放送ならUHF・ケーブル・衛星などの展開のように、常に新たな媒体やサービスの開発をして、事業の膨らませやリーチの拡大をしていた。そしてデジタルの時代になって、各社ニューメディアへの取り組みも手がけたのだが、今日のメディア企業の実態を見ると、それは殆ど実っていない。電子書籍は10年前に一度大きく話題になって、日本ではそれなりに先端的開発もしたのだが、ビジネスに結びつきにくかった理由は何か?
それは日本のマスメディアは国内市場をおさえている存在なので、それで十分に食っていけて、いくら新たなビジネスを開発しても、それは既存のビジネスほどのウマミはなく、ニューメディア開発の担当者は社内で高く評価されなかったからだ。こういった分野のリーダーがマスメディア企業を離れていくのが常だった。マスメディアがなくなりはしないが、半減するだろうということを何度も書いているが、要するにメディア企業の体質が守りになってしまった。しかしデジタルが切り拓く可能性はお構いなしに広がっていく。このギャップが新たにメディア事業を興す人の参入機会である。このようなことは先進国には共通することで、かつては時代を先取りしていたメディア企業が進化するメディアについていけない現状が、すでに既存メディアは崩壊しているという理由である。
Facebookの驚異的成長の秘訣は、自分の立ち位置をどう考えているかにあると思う。自然に考えて人と人をつなげるSNS間の競争は、良質な人のつながりが多いほうが勝ちになる。個人のプロフィールを明らかにするFacebookは先見の明があったのだろうが、それ以外もアプリが多いようにしたとか、そのアプリが人と人をつなぐところの情報シェアに関係するもの(写真など)に力を入れたとか、メディアとしてのポータルも意識したとか、アメリカ人の多数が朝起きて最初にPCのスイッチを入れてFacebookを見ることを真っ先にするのにふさわしいような開発を短期に熱心に積み重ねてきた。つまりFacebook自身が情報提供しているわけではないが、人と情報の接点というところにフォーカスしていたと思える。PCなりスマートフォンなりのデジタルデバイスが人々にゆきわたり、日常接するものになるという「前例の無い」時代をちゃんと見ていたのである。
デジタルメディアの可能性を記事『出版の多様性を受け継ぐもの』で書いたが、朝起きたら新聞受けに朝刊を取りに行くようなメディア接触の慣習も、新たな開拓の可能性が広がりつつある。時代変化を意識しなくなったメディア企業には、メディアを担う資格がなくなる。