投稿日: Dec 05, 2013 1:16:42 AM
枯れてきたPC
来年4月にXPのサポートが終わるというので、パソコンの引越しを準備しなければならないが、これが結構の台数があって思案中である。モノによっては古いソフトを入れておかねばならないのでXPを使い続けるのもあるのだが、OSでトラブってXPを再インストールする時に認証ができるのかどうか、はっきり書いていない。マイクロソフトに問い合わせたら、できると言っていたという話もある。
今のところWindows8は敬遠しているので、Vistaか7のどちらかにしなければならないのだが、結構Vistaでかまわない気がする。Vistaでも7でも見栄えはクラシック(NTとか2000風)にしてパフォーマンス優先にしているので、使い勝手は昔とかわらないのだが…
Vistaへの移行はVistaのライセンスシールが貼ってあるジャンクPCを何百円かで買って来て、そのProductKeyを使っている。ということでここ数年の間に発売されたPCを改めていろいろ見比べたのだが、面白い傾向としてPCは脱デザインになってきたことに気づいた。かつてはSonyが典型であるように独自のデザインをする会社がいくつもあったが、近年はDellとHPの見分けがつき難いほど似通って、単なる『箱化』しつつある。
もともとAT互換機という世界は標準部品の組み合わせが自由に出来る反面、タワー・ミニタワーケースの構造も寸法もほぼ同じで、正面のプラスチックのカバーくらいしか違うところはなかった。ところがスリムケースが多く出てくる時に、結構独自デザインがいっぱい出てきた時期があった。そういう個性のあるデザインが次第に消失してしまった。
それはスリムケースの初期は内部の構造も各社いろいろ違ったのが、今はそれもほぼ似たものになってきている。デザインは販売促進上の意味を失って、作りやすさとか使い勝手の点だけになってしまったといえよう。これはデザインがなくなったのではなく(大げさに言えば)永続する形を求めるようになったことである。
食卓に置く醤油注しの容器が何十年も同じであるのは、その姿で十分な機能をしているからで、他に理由もなくビンの形をいじくることを虚しいものとしてしまったほどの完成度であるということだ。
パソコンであれ産業機器であれ、道具のデザインというのは、結局は販売目的ではなく、製造と利用の機能性をどうバランスさせるのかと、それが長く使われることで空気のような存在になるようにするのがデザインをする場合に求められる点であろう。PCもやっと蛇口や照明器具に近いところまできたように思う。