投稿日: Mar 09, 2015 12:59:34 AM
記事『ビジネスモデル化(2)』では、各企業の生業としてのビジネスモデルの土台として、もっと大きな多くのステークホルダを巻き込んだビジネスモデルというか産業ビジョンのようなものが必要であることを書いた。こういった企業間の連合は古くから存在するもので、それらが癒着とか利権とかいわれることもあるが、それはもう自己革新できなくなったもので、技術革新が導入できないとか、プロセスの改善がされないで、顧客のビジネスへの貢献よりも自分たちの売り上げの確保と分配を守るモデルになりがちである。
日本の国内ビジネスの過半数はそのようになっているのではないかと思うが、それでも外圧とかIT化など黒船によって旧体制がガラガラポンされることは随所に起こって、古くはMicrosoftのパソコンアプリとか、近年ではAmazonの電子書籍も日本に根付いた。クラウド化というのもその一種かも知れない。理屈で考えるとクラウド化でいろんな問題が片付きそうなのだが、実際にクラウドモデルを導入しようとするとさまざまな注文とか難癖がついて、事はスムーズに運ばない。
近年のPODとかタブレットの導入でも、本来の導入目的とか達成したいことではなく、方法論のところで横やりが入ったり、逆に導入目的とは関係ないことを義理でしなければOKが出ないということも多かった。日本では総論賛成でも各論反対が多いからだ。これはどうも総論が抽象的過ぎるとか、計画がアバウトすぎるとかなど、プロジェクトをリードする側の甘さでもあるように思う。つまり十分な議論をしておらずに、誰かの特定の人の目論みの上に総論という糖衣を被せたにすぎないプロジェクトもみられる。特に官公庁からみの計画は「デキ」レースになっていて、それを中立的にみせるためにシンクタンクに事前調査と作文をさせているということにも過去は付き合わされたものだった。
それらとは対照的に、民間のコンソーシアムで、「みんなで新しいビジネスを立ち上げようよ」という場合もある。これは前職では手弁当で随分やったのだが、予算的には会議を続ける手弁当が関の山で、スコープは作れるものの、ビジネス化は限界があって、「みんなで出資する」段階までやる必要があるなと感じた。出資をしてもらうとなると、ビジネスの計画書をちゃんと作らなければならない。そこで金のまわり方も真剣に議論されるようになるだろう。ここに触れずにはビジネスは先に進まないのに、どうも金の配分の話しはグレイになりがちである。
そういったことを透明にして、コンソーシアムでビジネスの帳まで行くには、スコープとフェーズについて相当分厚い議論や検討が必要である。この図の意味は、新ビジネスの目標なり範囲(スコープ)に達するまでのロードマップを、フェーズわけして、フェーズごとの中間目標をはっきりさせることで、総論賛成で各論に異論が出てこないように議論を進められる(だろう)ことをあらわしている。
実証実験や開発でやっていることと、ビジネス化する部分を、プロジェクトとしても予算的にも分けて管理しないといけない。得てしてビジネスの担当者が入っていないとか立場の弱い人しか関っていないと、金回りが悪いのは開発が間違っていたからだと言われてしまうことがあり、やはり開発とビジネスを両輪でまわすべきである。
日本でビジネスモデルが考えにくかった理由のひとつは、新規案件が技術開発に偏り過ぎていたことがあったと思われる。
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