投稿日: Apr 06, 2013 12:55:41 AM
自炊は解決にならないと思う方へ
なぜ自炊が流行るのかを考えると、過去に本を購入したけれども結局全部は読みきれずに未練で残してあるとか、完全に積んどくになっているとか、後から読み返そうといった、情報摂取の消化不良が背景にあるのではないだろうか。人生で引越しとか結婚とか退職とか何か生活が変化する際に、部屋の空間を整理しなければならなくなっても、この未消化部分を捨て切れない時に、一時的な退避措置として自炊は安心感を与えるのかもしれない。
このようなことが起こるのは、本という商品を作る際のマーケティングとか値付けの問題があって、以前にも書いたことだが、最初に本の価格帯を決めて、それに見合うページ数にあわせて執筆とか編集作業をするという習慣があるからだ。つまり本の体裁をある形にデザインして、その時に厚みも想定されて、そこにコンテンツを詰め込むのが紙の出版であったので、この造本のデザインに当てはまらないものはなかなか流通がやり難かったのである。
例えば日本国憲法全文だけでは本にはできないので、解説をつけてページ数を増やさざるを得ない。有名な詩なども冊子としては薄すぎるので出版し難いということが起こった。宮沢賢治の、雨にも負けず…とかも見たいところは字数が僅かなのに、本としては余計なことも一杯書いてあるものを買わざるを得ない。こういった過去に作られたショートコンテンツの多くは今は Wikipedia などネットで得られるようになった。
しかし解説とか関連情報というものが余計なものといっているのではなく、それらも本の購入動機にはなっているのだが、コンテンツの優先順位としては肝の部分よりも低いと読むのが後回しになり、しまいに本棚の肥やしになりがちだ。アメリカの調査でeBookにおいても3-4冊を同時平行に読む人が多いというデータがあったが、ある書籍を手にとってページを開く頻度(ある期間における訪問回数)を考えると、本の肝心の部分を読んでしまったら、次第に足が遠のいていくだろうから、本来は読者のテンションが持続する期間内に読み終える程度の分量に設計すべきなのだろう。
記事『アナログ対デジタルという対比ではなく…』では、デジタルの方がアナログよりも情報をより断片的に扱いやすいので、ショートコンテンツ化に拍車がかかりつつあることを書いたが、こういった時代に合った本の作り方がeBookとともに芽生えつつある。過去の長いコンテンツを分断するのは著者の意向に反するかもしれないが、新たにショートコンテンツを書き起こす側から考えると、すでに紙の本には向かないスタイルの著述の仕方も始まっているのかもしれない。