投稿日: Jul 21, 2010 11:12:58 PM
日本文化が危ないって、どっかで聞いたなと思う方へ
1988年にPAGEというDTPのイベント・展示会を始めたときに、基調講演にtronの坂村先生に話をしてもらった。当時はMacやWindows(2)の姿が人々に明らかになった時で、日本でこういったアメリカOSがはびこることは日本文化を守る上で由々しきことだという意見があった。必ずしも坂村さんがそういっていたわけではないが国の費用でOSを作る建前で、守る話に同調していったように思える。Windows95の頃からのUnicodeの時も「漢字が危ない」「日本文化が危ない」という論調があった。いずれも日本の意図を汲む機能は果たして日本で普及したのだが、それはJIS漢字コードや仮名漢字変換から始まって、日本には基本的な開発力がすでにあったからである。今の電子書籍でも、日本に必要なものを開発する能力があるのなら、AmazonでもEPUBでも乗り込んでいって彼らに必要な機能を実装させればよいだけである。
グローバリゼーションという言葉は「アメリカの侵略だ」と捉えたり、反対に「世界に出てビジネスを」という意味で使われることが多いが、どちらも一面的である。まずは視点を日本一国内に限らずに、世界とか人類というところに移して、モノゴトを考えてみることに意味がある。AmazonやGoogleの活躍に対して、羨んだり絶望感を持つ前に、一体彼らは何を考えてこういったことをしているのかを理解しなければならない。これができるようになると、彼らが考えもしないビジネスの機会に気づくだろう。幸いアジアのことは彼らは疎い面がある。コカコーラのように世界中に同じものを売る商売もあるが、日本の自動販売機を見てもローカルな内容になっているように、日本の方がロングテール的なきめの細かいビジネスを積み上げるのは得意かもしれない。
つまり情報メディアのビジネスは世界中にひとつの言葉で同じ情報を流すようなものではなく、同じ情報でも場所によって説明や組み合わせを変えなければならないものなので、アメリカの世界侵略というのはあたらない(やっても空振り)と思う。アメリカのベストセラーが必ずしも日本で売れるわけではないように。これは日本にとっても同じで、日本のコンテンツを闇雲に海外にもっていってもビジネスにならない方が多いだろう。むしろコンテンツの輸出入やグローバルな情報メディアビジネスは文化交流だと思ってかからなければならない。日本の情報メディアの海外戦略に必要なのは文化の多様性の理解だろう。その意味では今まで国内市場だけを見てきた人ではなく、もっと別の視点の人が情報メディアビジネスに参入して欲しい。
特にアジアに対して情報メディアのビジネスをしたいならば、先方の国内事情を助けてあげるつもりでかかわることが重要である。日本は自力でJIS漢字コードを開発したといったが、その前に漢テレコードなど独自の先行するものがあった。ところが発展途上国では国内で情報基盤が整っていないので、そこからお手伝いする必要がある。文字入力メソッドも不十分である。確かにWindowsはいろんな言語をカバーしているようではあるが、それは必ずしもそれぞれの国にふさわしい形で実装されているのではなく、「とりあえず」のものでしかなく、例えばその国の古典を表すフォントがない場合も多い。
アジアからの留学生も日本に来て、上記のような問題を感じて帰っていく。こういったところに日本が産学で貢献すれば、相互の文化の交流と、それをベースにしたビジネスのきっかけになるだろう。