投稿日: Mar 24, 2015 1:50:5 AM
自分の作品がヒットして世間の評価を得られることはクリエータやアーチストの無上の喜びであろうが、時が経つうちに困ったことも起こる。昔の人気者がコンサートをすると、観客は往年のヒット曲をやってくれといい、それで大いに盛り上がることがあるが、本人にしてみればそういった曲が今やりたいものであるとは限らない。場合によっては昔のレコードと比較されて、「衰えたな」と思われるかもしれない。年を取ったなら取ったなりに芸風も変わって、昔と異なる持ち味で勝負したいだろうから、昔との比較だけされたのでは不満のタネにもなるだろう。
ミュージシャンの中にはボブディランのように過去の自分のファンに対して挑戦的な態度をとる人も居るが、悩む人、押し流される人も居るだろう。こういう問題を自分で解決することは難しいようで、理解のあるプロデューサが聴衆とアーチストの間に入って、うまく調整してくれるとアーチストの現役でいられる期間も長くなるのだろうが、現実にはなかなかそのようにはいっていない。プロダクションというのは人気者が稼ぎ出す上前をハネるだけでなく、在庫タレントをもっと活かすには、アーチストのエージェントのような立ち位置のプロデューサが必要だろう。まあたとえそういう人が居たとしても、今度はそのプロデューサの能力にかかってくるので、在庫タレントが活かされるという保証はないのだが……
1960年代に黒人ブルースが再評価されて、白人の有志が過去にブルースレコードを残していた黒人を探しては過去の作品をリメイクさせていた。ロバートジョンソンの芸風をそのまま伝えるジョニーシャインズなどは感動的であった。(https://www.youtube.com/watch?v=mohuaJWFGVU) それで、記事『新作とリメイクと芸』で書いた芸のアーカイブのようなレコードをたくさん残している。それらもYouTubeで聴ける。しかし彼は南部で黒人も聴きに来ているライブやイベントではオリジナルな曲をやろうとしていた。残念なことにそれらはロバートジョンソンのような名曲ではないし、また現代の黒人もロバートジョンソンは聴かないので、中途半端な曲になっていた。
1970年代、ジョニーシャインズは十分に歌える声をもっていて、しかもヨーロッパの演奏旅行だけでは満足せずに、やはり黒人コミュニティで歌いたいという指向をもっていた。アラバマではヨーロッパではやらないようなジャンプブルース(https://www.youtube.com/watch?v=oRZ54shWQ04)もやっている。しかしレコードでは現代のジョニーシャインズをプロデュースしようという人は居なかった。ロバートジョンソン風の録音を重視していた白人は黒人コミュニティ向けのプロデュースはできないし、当時のソウルシーンはジョニーシャインズの扱いには戸惑いがあっただろう。
このように1960年代から1980年代にかけて、非黒人の外部評価と、黒人ミュージシャンのやりたいことの軋轢というのが高まって行った時代があって、一部の黒人はヨーロッパに移住してコンサートで暮らすようになった。しかしレコーディング活動を振り切って自分の居た黒人コミュニティに戻った人の方が多かった。白人からすると彼らは再び埋もれてしまったようにみえたのだった。
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