投稿日: Apr 16, 2012 1:7:17 AM
コピーできる情報だけでビジネスはできないと思う方へ
駅前の商店街には本屋もレコード屋もあったのだが、それらが次第に姿を消していって、Tutayaのような複合店舗や大型店舗と、コンビニでの雑誌販売に2極化していった。これは電子化デジタル化云々の話ではなく、利用者側のライフスタイルの変化である。2極化とは誰でも目にするようなポピュラーなコンテンツと、自分の趣向を中心に選択したいコンテンツに分かれてきているということで、消費の「成熟化」ともいえる。雑誌とCD・DVDの違いは、読みきりで短命なものが雑誌で、リピートが多いのがCD・DVDということだろう。音楽は20年も30年も同じものを聴く可能性があるので、個人で管理しきれないで、ダウンロードのように聴きたいときに聴けるサービスが起こる。雑誌は元来立ち読みが多いこともあって、タダで多くのコンテンツに接することができるWebやケータイのコンテンツが雑誌の代わりになっている。
こういった日本人のライフスタイルの成熟化の先にネットのサービスが存在しているので、紙の出版物やパッケージのAVでは生活者のニーズにあわないという問題を通り越して、従来の本やレコードの販売に関するビジネスモデルがすでに破綻していることが商店街で証明されたと考えるべきである。だからこれから先にeBookとかネット音楽のビジネスを考えるならば、紙の出版物やパッケージのAVをデジタルコンテンツに変換するだけのことでは手遅れで、消費の「成熟化」に対応した「提案」の要素がなければならない。
この情報消費の新たな提案については未だAppleをしても成功モデルはないわけで、おそらくネット・ユビキタスの上での普遍的なモデルができるには10年とかかかるかもしれない。それは情報消費が文化の問題であって、それぞれの地の文化差に依存するからである。勤め人が朝起きて一番最初に情報を得るのは、新聞か、TVか、ラジオか、という違いとか、SNSなら人付き合いや家族の絆の文化差が、クーポンにしても、日常の買い物か、サプライズか、誰かとの飲食か、など使われ方の文化差が出てしまう。当然出版物もAVも今の「成熟化」における文化的な特性に合わせたデジタル提案がされるわけだが、それはヘタすると発展性のないものになってしまうかもしれない。
その典型がシルバー向けの情報ビジネスで、団塊の世代は次第に縮んでいくのだから、今多いように思えてもモデルとして考えるには向いていない。日本の電子書籍はいつも団塊を気にしすぎているように思う。もう1つは青空文庫や自炊のような無料で利用しているものをどう考えるかである。これはライフスタイルとしては図書館の電子版サービスに近く、ニーズはかなり高いように見えるが、ビジネスの観点から敵視するのは間違いで、このライフスタイルの延長上にどんなサービスを提供できるのかを考えなければならない。
もう一方で小規模ビジネスとしては駅前の本屋やレコード屋のような店舗としては存在できないが、逆に専門性を突き詰めて世界でも指折りの評価を得られれ、Amazonには無いレベルに至れば小規模でもネットで広域にビジネスをすることができるのだろう。