投稿日: Mar 14, 2012 11:32:52 PM
メディアを自分の化身にしたい方へ
NHKの朝ドラ「カーネーション」が終わりにさしかかっている。ファッションのコシノ三姉妹にしてこの母アリ、という判りやすいストーリーで盛り上がりどろこもいっぱいあった。この母は自分のやりたいことに懸命に取り組んでいて、子育てなどほとんど構っていなかったにもかかわらず、とても岸和田の1件の洋装店で自分ひとりではできない世界が拓けた。子供たちは直接母親から洋装の手ほどきを受けるとか、母親の仕事を手伝ったわけではなく、大人になる段階で家を離れていくのだが、子供たちはまるで自分の分身のようにいろいろな面で大活躍するようになる。いわゆる「子供は親の背中を見て育つ」よい例であるが、今の教育システムではどうしようもない部分でもある。
今の教育は親が子供の将来のためによかれと思っていろいろ投資とか指導をするが、それが逆効果になって子供を鬱屈させてしまいがちだ。あまり子供が親に素直に従っていると、子供の親離れがなされないのではないかと心配になる場合もある。このような親との直接の対面で、人の生き方をコントロールしようとするのは難しい。それは子供は親の正面だけではなく、親の背中や裏側も同時に見ているからだ。よく自分に「似なくてもいいところだけ似た」ということを感じるのは、「背中」の力である。コシノ三姉妹の母は背中だけで子育てをしたしたことになる。
これらはソーシャルメディアの利用にも言えることで、自分でがんばってネット上に情報発信していても、それを正面から真に受けてくれる人などいない。人は会社や他人の背中や裏側の方に先に目が行くとか興味がいくかもしれない。つまりコシノ母のように自然体からにじみでるような情報伝達が、周囲の他人が勝手に情報発信するソーシャルメディアでの情報伝達と似ている。これは必ずしも既存の大組織が横滑り的にソーシャルメディアで多くのファンを持つことができない理由で、一見人のつながりで成り立っているように見える既存のビジネスでも、それが単なる金の分配によってしか成り立っていない場合は、あえて情報でつながる必要がなくなってしまう。たとえばAmwayにかかわる人は相当いるはずだが、facebookのいいねは12万ほどしかない。
よく社長Blogが三日坊主で放置されているサイトがあるが、それは社長の言いたいことややりたいことが元々あまりないか、あるいはストレートに表に出すことははばかれるかのどちらかだろう。そのような会社が製品やサービスの特徴をソーシャルメディアで羅列しても、効果はマスメディアやカタログ以下になるのは目に見えている。むしろ製品やサービスの数は少なくとも、そのひとつひとつに懸ける想いが大きい場合は、いろいろな角度やシチュエーションから思いを語ることは、ソーシャルメディアに向いている。Appleのように製品数が極めて少なく、その一つ一つの設計過程が長いものは、語るネタもたくさんあることになるのだろう。