投稿日: Feb 13, 2013 12:59:10 AM
考えたようには使ってもらえないと思う方へ
ネットは特別にインテリジェントな、あるいはエモーショナルな領域ではなくなり、マスメディアや巷のカオスに飲み込まれてしまうことを記事『ネット原住民はどこへ行く?』で書いた。次第にネットのコンテンツの平均値は紙や放送と内容的には変わりがないレベルになりつつある。だから従来のメディアビジネスと似たことになる。しかしだからといって従来のメディアビジネスをそのままネットに持ち込んでもうまくいかないと思われている。ネット上のメディアビジネスで欠かすことが出来ない要素は、投稿とか、コメント・SNS連携などであるが、それだけをつけ加えれば大衆化するネット上で成功するメディアビジネスになるとは思えない。
印刷物を設計する際にも、その情報がどこでどのように利用されるかというのを考えて、判型とか厚さ、用紙、製本方法などを決める。スマホになるとこういった利用面の設計がもっと広い範囲で、しかも時間帯というのも含めて考えなければ、ネットメディア上の戦いに勝ち抜いていくことができないだろう。ケータイの時から電車の中の利用、布団の中の利用というのが大きい比重を占めるようになり、求められる情報はよりプライベートなものとなった。若者はスマホを風呂の中に持って入るようになったので、長風呂になり、しかもコンテンツも風呂に合うのかどうか、時間帯も風呂時には何が盛り上がるか、などということが考えられるようになった。
つまり情報提供側はコンテンツの良し悪しの選択以外に、情報がいついかなる状況で見られて、その後どのようなリアクションがあるのかという、利用者の情報接触にまつわる新たなライフスタイルを想定してサービスをするように、工夫すべき点が変わった。だから、過去の紙とか放送の人のみならず、2chのようなパソコンに特化した長いスレッドの表示様式のデジタルメディアもスマホのユビキタスな利用形態に合わなくなる。コンテンツありきや、テクノロジーありきではなく、人の生活や活動に寄り添うようにメディアビジネスは再設計しなければならないのだろう。
ARでアプリを開発して、「ここで、こうやって、こんなことができる」と使い方の指導をしなければならないようなものも、ユビキタスなライフスタイルを基準にした新しいエクスペリエンスに適合しているかどうかを再検討する必要があるだろう。利用側からすると使い方の指導をうけるということが、面白さを発見するエクスペリエンスとしっくりいかない場合もあるだろう。YouTubeは動画を撮るという一般人の新たなライフスタイルの上に投稿とシェアというエクスペリエンスをもたらした。単に動画検索できることに面白さがあるのではなく、ある動画に関連したおすすめで別の発見をするという新たなエクスペリエンスをもたらす。今でもずっとおすすめ方法を模索しているが、利用者が遊びまわっているうちにきっと面白さを発見するということの積み重ねで、サービスの厚みが増していく。
メディアの利用というのは子供が遊びを発見するのと似ていると思う。使い方の指導をしなければならないようなメディアは普及しにくいと思う。