投稿日: Jul 31, 2012 12:24:4 AM
質を上げることが重要と思う方へ
2008年の北京五輪の時にはtwitter利用者が600万人、facebook利用者が1億人だったが、4年後の今回のロンドン五輪ではtwitter利用者が1億4000万人、facebook利用者が9億人とほぼ1桁増えている。 記事『iPhoneに続くものは何か?』では、モバイルフォンが60億に達し、その8割は発展途上国で使われていて、iPhoneは5%のシェアくらいと書いた。これもここ数年の出来事である。これにうまく乗じたビジネスは伸びて、ニールセンが出したスマートフォン・メディア利用実態調査レポート では、ケータイの時代とどのように利用のされ方が変わったのかがわかる。しかしそれにしても大したことには使われていない。つまりお金と時間を消費しているだけで、それで社会とか生活が変わるほどではないということもわかる。
7月末に行われた山口県知事選では自民・公明両党がおした山本繁太郎氏が勝利したものの、橋下徹大阪市長のブレーンを務めた飯田哲也氏にかなり追い上げられたことに両党は警戒感を示した。飯田氏の善戦の理由が何かということだが、大阪・愛知にみるような脱政党・地域政党への流れというのと、無党派層・市民運動的な戦い方という2面で考えるべきかなと思う。twitterに関して落選した飯田哲也氏のフォロワーが63,000人で、当選した山本繁太郎氏のフォロワーがたったの27人であったというのは、いろいろ考えさせられる点で、飯田氏の得票数がフォロワー数に近いのだが、山本氏のような旧来のつながりはtwitterを必要としないほど強いことでもある。
北京五輪の後にアラブの春という出来事もあったが、SNSの数ではなく質が問われる時代になりつつあると思う。冒頭のようにほとんどの有権者は何らかの投稿できる状況になってきたのだが、民主主義が衆愚政治になりがちだといわれるように、SNSも馬鹿と暇人のメディアのままでは、ガス抜きと無責任な楽観主義の混在以上のものにはなれないという危惧がいつもある。インターネットが始まった頃に、電話の普及にどれだけかかったのに対してインターネットの普及は云々とうことがよく言われた。それは嘘ではないし、そこからいろいろ考えるべきこともあるが、何も考えないでオウム返しをしているというのもネットの特質なのである。最近も「テクノロジーの普及スピードが加速している」という記事があったのだが、そこで紹介されているグラフを見てもそのようには読み取れない。紹介されているグラフの中で1925-30年のラジオの登場(図では太くしている)と、1990-2005年のセルフォン・インターネットのところを重ねてみると次のようになり、ほぼ同じ速度で普及していることがわかる。見出しの「加速」のくだりは原文のどこかの引用で、自分でグラフをじっくり見てはいないと思える記事であった。
つまりネットが社会に対して有効なコミュニケーション・メディアになるには、オウム返しの数だけ増やすのではダメで、やはり次々連鎖的にいろいろな人の考察を積み重ねていくような使い方がされるべきである。これが紙や電波のマスメディアに対するアドバンテージであって、記事『遅かれ早かれ崩壊する広告業』では広告の衰退理由を広告がクリエータからの一方通行でコミュニケーション要素が弱いからと書いたのと同じである。ネットも広告モデルを考えるとPV至上主義になってコミュニケーションをおろそかにし、結局は質が低下して滅びるということを繰り返してきたように思う。