投稿日: Jul 27, 2015 11:42:54 PM
独身時代にはなるべくモノを持つのは少しにしようとしていたので、料理は中華鍋一つでまかなっていた。食器も2種類くらいしか使わなかった。家庭をもってからは料理や食器には口出しをしないので、今は食器棚や調理器がいろいろあるが、たまに来客がある時にしか使わないものが殆どである。壮年時代は家財道具も増やしてきたが、高齢者になるとどのように処分していくのかが課題になる。そんなことを考えると、壮年の時代もなるべく買わないのがいいのではないかと思う。
今の若い人が車を買いたがらないというが、他のモノも年に1回使うか使わないようなものは買わないように、日常から吟味する習慣をつけた方がよいだろう。そんなことをいうと消費が冷え込んでしまうではないかと心配になる人もいるだろう。しかし何でも無闇矢鱈に開発して売りつけることで、商品開発も曖昧になり、ブランド力は無くなり、100均と競争になっていったのが近年の日本ではなかったのか。日本から強い商品が世界に出なくなって久しいように思える。
NHKの朝の番組でちょっと便利な小物を紹介しているのがあるが、おぞましい限りで、先日はウナギのかば焼きの櫛を抜く器具を紹介していた。今の日本の経済はこのようなものを開発することが許されているのは幸いといるのかもしれないが、開発者は一生このような姿勢で仕事をしていくつもりなのだろうか。どうも工学というのに思想が欠如している気がする。リベラルアーツの問題なのだろうか。個人として考えると、工業デザインを志すとすると、世界から引く手あまたになるような仕事を目指すべきではないか。
自分と社会の接点が曖昧であるとか、子供に社会を体験させるようなことを親があまりしてこなかったとか、通勤という勤務形態が地域社会を形骸化させたとか、いろんなことが重なっているように思えるのだが、このような状況では子供にいくらIT教育を施したからと言っても、SNSとか社会的に有効な仕掛けを考え付くようにはならなくて、引きこもりでも遊べるようなゲーム開発が関の山かと思う。
某政権は強い日本にしたいらしいが、それは軍事費とか権力集中とかの問題ではなく、世界のどこでも通用するような日本人を多くすることではないのだろうか。
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