投稿日: Nov 05, 2010 11:6:48 PM
読むべきものはどんどん増えていると思う方へ
Kindle上陸は12月かと言われ、黒船を迎え撃つ日本の電子書籍は、ケータイ各キャリアごとの系列が3つできて、出版社はそれぞれにコンテンツを提供するのはやっかいだろうからということで、中間フォーマットを作ろうというところにも国の予算がついた。またこういった出版業界に翻弄されたくはないという作家が自分達で電子書籍販売会社を作るという動きもある。個人的にはこういった話題にはあまり興味はない。なぜならあまりにも本を売る側からの一方的な話だからだ。電子書籍の面白さとはなんだろうか? ページの中に整然と並んだ文字を順番に読んでいくことだろうか? 記事「読者から見た出版とは」では、新刊だけでなく古本・図書館・家族知人の本も読書対象であることを書いた。つまり出版社のビジネス対象よりも遥かに広い読書対象があるわけで、eBook・電子書籍 も出版ビジネスを超えた現象になる可能性が、今の出版側の動きには見られないところが面白くない。
図にすると以下のようになる。出版社にとっては新刊がどれだけ売れるかが課題なので、絶版本は視野外である。若い頃読んだ本でもう手に入らないもの当時有名だったものでも多くある。しかしそれらは古本なら結構見つかる場合もある。当然ながら古本の方が広い世界があり、古書は威厳があり、BookOffのように身近で安いなど、読書需要のかなりの部分を背負っている。さらに本を「所有しない」読書である図書館利用も読書のかなりの部分を占める。
人が本屋や図書館に行くのは、必ずしも用を足しに行くのではなく、そこに何か発見があるかもしれないからで、自分の時間をそこで使う価値があると思っているからだ。だから中規模書店はそれなりの集客力があって駅ビルなどに割と安い家賃で誘致される。それはBookOffでも図書館でも同じで、本屋に行くこと自身が楽しみになっている。それを電子書籍販売でどう実現するかは、まだ未知数である。
新本でも古本でも気に入ったものを所有したいと人は思う。とりわけ昔は全集や百科事典の如く、情報に満たされる安心感というのが書籍販売の一部を支えていた時があった。今はそのような情報渇望感はなくなっているが、近いうちに読もうとか、きっと必要になるだろうという、先行投資と言うか先物買いのような購買の傾向はかなり残っている。つまり蔵書化とは、自分はこれだけあるぞと自分に言い聞かせるとか、自分の意識の向かうところはここだという「見える化」をしている。自分にとって重要なことを忘れかけても戻ることが出来る場所として蔵書はある。だから電子書籍が何系列かに分かれて互換性なく存在するようになると、自分の蔵書を見渡せなくなる。
記事「ライフスタイルとしての電子書籍」では引越しをする際にまとめて自炊化する人が出ていることを書いたが、蔵書の容積圧縮とか実際に読み進むための利便性追求というのも電子書籍のニーズである。これは企業でも過去マニュアルをデジタル化しつつあるのと同じ理由だ。学術研究も似たようなところがあり、ここでは読んだログをとるとか、bookmarkをつけてクリッピングのようなことができるとか、そういった情報の管理が必要で、いわゆるソーシャルリーディングに似たものとなる。これを出版社に開発してもらう必要はなく、コンテンツとユーザウェアは分けられた方がよい。
読者は新刊にも好奇心があるし、古本にも興味が尽きないし、蔵書を活かすことも重要で、こういったことのバランスを考えた電子書籍・eBookの検討が必要だろう。