投稿日: Jul 18, 2010 11:11:57 PM
素人の参入でeBookは混乱するかと思う方へ
NHKの『ゲゲゲの女房』では、7月中旬に水木しげるが貧乏な貸本マンガ作家からマンガ専門雑誌を経て、メジャー出版社の少年漫画雑誌へと陽の当たる場所へ移っていく様子が放送された。ここではガロの社長や少年マガジンの編集長なども、かなりそれっぽく登場していた。貸本が原稿料を払えなくなっているのに対して、ガロはちゃんと原稿料を払い、マガジンになると完全に生計が立てられるレベルになっていくような描き方だった。それほど事実とは離れていないと思う。出版ビジネスとして見ると、この1960年代中庸で少年マガジンは数十万部、ガロはその20~30分の1くらいと思われる。両者はビジネスとしては比較するようなものではないが、社長・編集長の志向の違いというのも描かれているので、そこから出版ビジネスの多様性の意味を考えてみたい。
少年マガジンの編集長はその後巨人の星とか大物作家を開発したり、大胆な漫画コンセプトや方向性で、若者や大人の読者層開拓をしていく人であることがわかる。最初に「墓場の鬼太郎」を掲載したときに、読者の反応が思わしくなく、編集部の大勢としてはこの雑誌に不似合いな作品という評価の中で、編集長は従来の少年向きの内容だけ追いかけていると少年サンデーに対抗できないことや、青年にも受けることで伸びられるから、看板は「少年」でも新たなコミックのジャンルを作ることを力説しているシーンがあった。ガロの方はもっと大人的な発想で、しかも文化的な価値を求めている社長像であった。
私はマガジンもガロも買ったことは無く漫画の世界は知らないのだが、クリエイティブとして考えると例えば音楽(レコード業)や美術(デザイン業)と似ているところはある。自分の仕事とは別に小学生にいろいろなクリエイティブをさせることをしてきた経験があるが、だいたい1クラスに1人くらいは絵のセンスのある子はいる。全体の2-3%に相当する。東京には1000ほど小学校があるので、それら何千人のうち何人かは大物になる可能性がある。つまり100万人中で2-3人がプロ中のプロになり、その予備軍が1万人中何人、趣味的な人が全体の2-3%という同心円的な世界が考えられる。この数字が若干異なるだけで、クリエイティブ側がプロとプロ志向とハイアマの3層、それと消費者に徹しているファンの4層構造がある。
少年マガジンのビジネスは4層目がターゲットだが、ガロはハイアマがターゲットと考えられる。出版ビジネスが社会にどう作用するかをみると、プロ志向やハイアマの人数を増やすと、その分野は活況を呈するようになる。アメリカの黒人は白人の10分の1くらいしかいないのにレコード数としては白人の数に比べて半分くらい出していたことがあり、人口当たりの楽曲の録音数は黒人は白人の5倍の密度であったことを思い出した。レコード作成のイニシャルコストは本よりも敷居が低く、ラジオによる紹介も行いやすいから、波及しやすいという条件は白人にとっても黒人にとっても同じだが、結局レコードは黒人が参入しやすかったがために黒人のプロが増えたといえる。
出版ビジネスに話を戻して、ガロのような立場が紙の出版ではやりにくくなったことが、出版の多様化とそれに伴うクリエータの活性化に対してはマイナス要素になっていると思える。そこにeBookのような敷居が低いメディアが登場することは、期待をもてる状況になるとともに、日本に埋もれているクリエータを掘り起こすというところに、再び出版ビジネスの比重が移っていくのではないかという気がする。歴史的に考えると出版のコアコンピタンスは編集よりも発掘にあるのではないか。