投稿日: Oct 10, 2015 1:2:43 AM
同じ小説を何度も読み返したことはないが、写真集や画集は何度も眺めている。それらはリピートする価値があるものを選んで買っているのであって、リピートしないものは立ち読みや図書室などで用を済ませてしまっているのかもしれない。つまり買わないものでもコンテンツ消費はされているし、そこにもサービスは成立している。もっと言えば、図書館専用の本があってもよいくらいだ。(極端な話をすると、1冊10万円の豪華写真集などで、図書館への卸価格は1万円とか)
音楽も同じようなもので、リピートする価値があるものは購入するが、フロー型の消費をするモノが別にあって、放送とかジュークボックス、BGMなどである。フロー型消費でも有線放送のように何らかのお金は廻っていて、それはサービスとしてある。つまりコンテンツの取り扱われ方というのは、それ自身を作る時に意図されているかどうかとは関係なく、「購入→蓄積」型と、「フロー・サービス提供」型に分類されるように思える。
もう一度これらの関連を考えると、最初にコンテンツを認知してもらうためには、「フロー・サービス提供」型が必要だが、それらのうち「購入→蓄積」型になるものと、フローで消費してオワリというものがある。過去のヒットコンテンツなどを振り返ると、その時だけの一発屋というのが少なからずあって、長い目で見るとフローなんだけれども、その時だけの短期でみると膨大な利益を産んでいるものがある。当然ヒット狙いはリスクが高く、クリエーターはそれでは喰っていけないので、コンスタントなサービスもしていなければならない。
ところで昨今はネットで音楽・映像・小説などの視聴・読書ができるようになって、ネットでのコンテンツ販売のためのプロモーションがされるが、サービス主体の考えはどちらかというと放送に近い「フロー・サービス提供」型であるのに、消費者の側はそれらを「購入→蓄積」型と対比していたり、それらの枠の中で考えがちである。従って両者の新たな使い分けとか連携というものが消費者の側からなかなか出てこない。サブスクリプションで聴き放題・見放題が出てきて、有線放送モデルという認知がされるようになったかと思うが、まだ煮え切らない気がする。
それは、サブスクリプションを安くして徹底的に広がるフローにしようとすると、「購入→蓄積」型しかアタマにないクリエーターの反発をくらっていることからもわかる。パッケージメディアとカンニバリズムするかとか、パッケージメディアの印税との比較など、20世紀にできあがった、もろもろなメディアが作ったそれぞれの運営方法や制度といったものが、まだネットの新しいビジネス立上げの邪魔をしているように思える。ビジネスモデルの難題はステークホルダの理解がなかなか進まないことだろう。