投稿日: Aug 03, 2014 11:59:52 PM
ベンチャーとスタートアップの混同という話があったが、論点はビジネスプランと運転資金である。スタートアップは投資を受けるということらしいが、ベンチャーでもそういうことはあるので、あまりはっきりした区別はないように思う。ビジネスプランが曖昧だからベンチャーに分類して、ビジネスプランはあってもキャリアが無いからスタートアップということでもないだろう。このような議論とか区分けは、当事者の視点で語っているのではなく、投資家の視点で語っているから起こることだと思う。当事者としては自分のやりたいことをする、しかないのではないか?
昔はベンチャーというと高度な専門家が組織からスピンアウトして起業するようなものを指していて、単なる起業とは区別されていた。今でもそういう例はあるが、そもそも内容が専門的で、一般の人には解りづらいB2Bの場合が殆どである。
それに比べて今のベンチャーとかスタートアップは若い人が手掛けるものがよく取り上げられていて、それほどの経験の厚みはない。ただプログラミングなどは少年の頃からやっていれば20代でも専門家とはいえる。facebookの創業者などは少年の頃にプログラミングの大家が家庭教師についたほどの英才教育を受けていた。
Googleの人材採用においても高度な専門知識を持つ人を集めている。求人広告からして数学の問題であったようなこともあった。そして実際にビッグデータ時代には統計の専門家が現実社会を手玉に取るようなことができるようになったのである。何度も引用しているマネーボールのビリー・ビーンが採用したネイト・シルバーのような人材がそれで、アメリカの大統領選挙戦でギャラップの予想を超えるような予想を打ち立てた。
プログラミングとか統計の専門家は若い人でも居るので、そういうベンチャーとかスタートアップに大きな可能性がある時代になったということはいえる。というかすでにアメリカではそのような人材は高給でひっぱりだこになっていて、それを振り切って起業しようという人がいるくらいである。
そういう人の活躍でマーケティングとかデータマイニングとかの世界は、仮説検証がひとつ次元の高い段階に行こうとしている。Amazonの本当の怖さはそのようなところにあり、よく取りざたされる戦術面の駆け引きはあまりAmazonの将来に影響を与えないだろう。
夏の高校野球が始まろうとしているが、全高校球児の普段の試合データを集積して、プロとして通用する人材をはじき出すのがビッグデータ時代ということになろう。こういう応用面はあらゆるビジネスにも考えられる。しかるに特に日本において、冒頭の投資家視点のスタートアップ云々では、高度な専門家を駆使してビジネスの改革を目指すような案件がなかなか聞こえてこないのはなぜだろうか? 既存のビジネスを打ち倒すようなベンチャーは日本では望まれていないのかもしれない。少なくとも官制プロジェクトではそう感じる。
コンビニのPOSが個人商店を喰ってしまったようなことが、ビッグデータ時代にはいろんな産業で起こるようになろうとしているのだが、日本の中小企業はまだ脅威には感じていないようにみえる。
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