投稿日: Jun 30, 2012 12:47:20 AM
東京中心主義を見直すべきだと思う方へ
世界的に活躍する大作家や有名アーチストは日本でもよく売れることがある。ただ音楽のように言語を超えて受け入れられるものと違って、書籍は日本に合うものと合いにくいものがあるだろう。世界の大作家でも日本では好き嫌いの分かれる中堅作家並みの扱いになるだろう。逆に昔から海外作家で現地では有名でない作品でも日本ではポピュラーなものがあったりもする。もともと異文化の海外作品は日本で大量に受け入れられるはずもないのに、明治になってから多くの海外作品が紹介されてきたし、それは無駄なことではなかった。
むしろ近年の方が利益を重視してマスマーケティングで出版事業を支えようという考えが強くなったように思う。しかしもともとの出版活動はかならずしもマスマーケティングが軸ではない。マスマーケティングをすると広告代理店のトレンド調査のように同じような結論になりがちである。株式の値動きを見て売り買いのタイミングを決めるアルゴリズムが開発された時代があったが、コンピュータを使うと皆が同じようなことをして市場を混乱させた。
国民の中に大きな渇望感があって皆が同じようなものを効率的に作ることが求められた時代はあったし、発展途上国は今でもそうである。しかしマスマーケティングをする工業製品のように生産効率を重視していくと、結局は同じものならアジアでできてしまうことになり、日本の今の閉塞感につながる。そうなってから急に日本でユニークな開発をしろといっても、人々のメンタリティがマスマーケティング時代に形成されたものなので実際には違う発想をすることは難しい。
今となっては日本人は金太郎飴的な国民性だと言われるが、冒頭のように明治の最初は海外に対しても好奇心がおうせいであった面がある。しかもそれは出版であった。日本に多様性が根付かないわけはない。それは日本の中自体に地方文化という多様性があるからであるが、出版産業は東京中心/標準語のモノカルチャーに傾斜して、全国に同じものを供給することで発展してきた。今政府の金を出す緊デジが動き始めているが、本当なら記事『メディアが与える継続の力』のように東北からの情報発信を支援するのがよいと思う。
デジタルメディアはモバイルで音声映像を取り込んで簡単にマルチメディア編集ができる特性があるので、今まで敷居が高いように思われていた地方発の情報を発信するには向いているだろう。つまり文章で原稿を書くと方言などは失われがちだが、全体シナリオだけを標準語で書いて、個々の情報は地元のインタビューを並べるようなこともeBookでは可能となる。従来のマスメディアには載らなかったような多様なコンテンツを発信できるものとして、多くの人がメディアつくりをするようになることにはいろんなメリットがあると思う。それがなければ逆にグローバル化の中で生きていけないのではないか。
関連情報
出版のグローバル化を考えるセッションを行います。
『グローバリゼーションを目指す世界の出版動向と日本– フランクフルト・ブックフェアのボース総裁を迎えて』
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