投稿日: May 02, 2012 12:55:28 AM
ブレイクする前には溜めが必要と思う方へ
Jimi Hendrix が音楽活動を始めたのは奴隷解放からちょうど100年後であった。そこから4年間のアマチュアおよび下積みの時代を経て、一転してロックの王者として4年間君臨して夭逝した。1966年にニューヨークのグリニッチビレッジでイギリス人に『発見』されたJimiはイギリスでデビューしたために、いったいどのような下積みの音楽活動をしていたのか、死後10年経ってもよくわからなかった。それは記事『コンテンツの出世コース』で書いたように、アメリカの大衆音楽というのは、ローカル→国内→国際、という3層の異なる世界を成していて、下積み時代にお世話になるローカルの部分のコンテンツは個人が作るものも含めて星の数ほどあり、いつどこでどのようなレコードが出されたのか、どこにもまとまった記録は無いからである。
アメリカのレコードレーベルは、ミュージシャン自身やプロデューサ個人、レコード販売店、音楽貸スタジオ、ライブハウス、流通業者、などなどによるサイドビジネスものが無制限にあり、そういった音楽でも見本盤を持ち込めばラジオ局やジュークボックス業者に配布するサービス業者も独立して存在した。そしてこういった世界のニュースも伝える雑誌メディアとしてBillboardやCashBoxがあった。日本ではBillboardやCashBoxは人気ランキングのためにあると思いがちだが、これら新譜のニュースリリースが占める部分が多い。これらの過去のものは今日ではGoogleBooksで閲覧できる。
Jimi Hendrix の死後20年ほど経ってから割りと詳細な記録の本が発刊され、その頃から次第にローカルなレコードも分かりだした。つまり下積み時代にJimiが身をおいていた音楽シーンは、一般的な白人は知らないままで居た。それはちょうど公民権運動の時代であって、まだ実社会では白人と黒人の生活圏やライフスタイルは分離されていたからである。YouTubeには1965年のTV番組 Night TrainでバックバンドにJimiが映っている映像 映像 映像があり、この種の音楽をChitlin' Circuit と呼ぶこともJimiの経歴紹介とともに一般化した。Chitlin' ミュージックはCD時代にはJimiの下積み音楽と同種のコンピレーションとしてあちこちから編集されて出ているが、大きくブレイクすることは無い。もともとブレイクしなかったのだから当然といえば当然だ。 Chitlin' ミュージック自身は着目されなくても、そこから芽を出したJimiの音楽は世界に広がったのだから、Chitlin' Circuitの底力は評価できる。
アメリカは人種差別によってChitlin' Circuit のような閉鎖的なコミュニティが残っていたのに、日本やイギリスは閉鎖的なローカルというのが無かったので、ネットですべてのものがつながる時代になると、コンテンツもフラットな世界ができると思いがちだが、むしろネットのつながりは同人・仲間内・ローカルというソーシャルな関係を強めていくので、コンテンツの流通も ローカル→国内→国際、という3層の区別がより明瞭になっていくのではないかと思う。従来のコンテンツビジネスはより広い世界を目指してネットを使おうとするだろうが、同時にローカルコンテンツはコミケやボーカロイドのように自然発生的に広がりやすくなっている。それらがやはり次世代の底力をプールするのだろう。