投稿日: Jul 04, 2010 11:13:36 PM
日本にメディアビジネス維新は起こるのかと思う方へ
以前「ネットは新聞を殺すのか」という有名なBlogがあったが、このタイトルは刺激的ではあっても、問題の立て方としては無理があって、どちらにも取れる。そもそも新聞とは、というところから考えても歴史的にいろんな段階を経てきたので、今の経営スタイルや紙面のスタイル、および生活者の情報接触スタイルが、今後変わるとしても不思議は無い。だから新聞の変化がどうだったら殺されて、どうだったら進化なのか、という基準がないままで、ああだこうだと人々が思い付きを並べ立ててもそれほど意味は無い。現に本屋に行けばマスメディア斜陽論がいっぱい並んでいるが、そこからなかなか今後のビジョンは出てこない。斜陽論の意味は、そうだとは思っていない人に対しての啓蒙でしかなく、ビジネスの参考にはなりにくいと思う。
今後のメディア関連ビジネスの最大のテーマは、『「コンテンツ」が次の社会インフラ』に書いたように無料のコンテンツの海の中に、有料コンテンツの島がところどころあるような光景になることであり、過去のような「情報の欲しい人は金を払いなさい」という図式は通用しない時代であることだ。ソフトウェアも一足先にそのような時代に入っていたのだが、最近はUSBデバイスの中にアプリケーションを入れて、簡単なハードウェアとして売ってしまう ものがあるように、モノがあるとお金がとり易い。
しかしモノを排除したデジタルメディアでは情報提供に関してお金がどう回るのかについて、白紙になったようなものである。
Webが普及する過程で雑誌や新聞のような広告モデルでポータルサイトが運用された。確かにトップページのビューは多く広告需要は多いが、そこから階層を下っていったページは雑誌のように広告対象にはなりにくい。雑誌ではクリック数がないので割と一律の料金でも不満はいいようがないが、Webページはビューがはっきりしているので、かえって広告対象は狭まってしまった。このWebのクリック数に応じた広告は、世界中のものをGoogleのAdWordsのような仕組みがビジネス化したので、Googleは10年も経たないうちに電通の連結決算ほどの売り上げに達した。1クリック10円内外からの僅かなビジネスでも世界が相手なら巨大なビジネスになる、というグローバルの寡占化を可能にするのが境界の無いデジタルメディアの特徴である。
逆にいうならば、過去の紙であれ電波であれ、部数や地域という制約の中でそれなりの単価の高いビジネスを成り立たせていたといえる。ここから抜け出してデジタルメディアに行ったとたんにグローバルな低価格競争の中で戦わなければならないというのは、電子書籍でもあてはまっている。残念ながらGoogleのような先にコンセプトありきのプラットフォーム構築や可用性の高いシステムを構築するのは日本では難しい。電子書籍議論でも「読者不在」という指摘もあるが、黒船はプラットフォーム議論なので、みんなの意見を聞いてGoogleができたわけではないように、読者周りのちまちました議論をしていること自体がコンセプチュアルな大上段の議論は日本人には苦手であることを現している。
目下のメディアビジネスとしては、日本でグローバル競争力を持っているのはオタク系コンテンツといわれるように、日本の有利な点としては一個人でもできる気の利いたソフトが世界に売れる可能性はある。それで食いつなぎつつ、次の大きな目標を狙う人材を全世界的な感覚で刺激して、中期的にはメディアビジネスで世界に打って出ることができなければ、アメリカの戦略の上で金を払ってIT利用させてもらうだけの日本になってしまうだろう。