投稿日: Dec 30, 2015 12:56:30 AM
年末に家に居てもテレビはダラダラしゃべりか、総集編か、番宣ばかりでウンザリだし、近年はマスメディアの面白無さに寂しい気もする。昔のように家に溜まった雑誌の山を束ねて処分することもなくなった。子供もヨメも黙ってスマホをいじっている。室内で音楽をかけるとうるさいと言われるので、ヘッドフォーンで聴いている。20世紀に発達したマスメディアの役割は終わってしまったようだ。昔の電蓄はラジオと同じ様に家族で音楽を聴くものであったが、ウォークマン以降はパーソナルな音楽環境が主流になっていった。
新聞もテレビも無くなりはしないのだろうが、それらは家庭内で情報を共有するための世帯財であったのが、もはやパーソナルメディアばかりが発達して、マスメディアが隅に追いやられるような関係になっている。例えばラジオというのは一家揃って聞くものであったし、それを引き継いで茶の間のTVという昭和の光景ができた。新聞も一般紙は世帯単位での購読であって、こういう時代は情報選択としては非常に受け身なものであった。この受け身の姿勢がマスメディアの発達の基盤である。
ラジオも複数の放送局があったにはあったが、局と局の切り替えはダイヤルでチューニングするので容易とはいえなかった。しかしテレビになるとチャンネルの切り替えが容易になり、ザッピングしながら見る放送を選ぶということなった。各人の見たい番組が食い違っていいき、それがメディアのパーソナル化のキッカケであったのであろう。そのおかげで家族がそれぞれ自分の部屋にテレビ置いたり、ラジカセやミニコンポを置いたり携帯音楽を使うようになって、一見すると家電業界は需要が増えていった。それにゲーム機もパソコンも加わって、個人の周りはデバイスだらけになった。
しかしパーソナル化と情報家電の多様化は相容れない要素がある。独りの人間がそれぞれそんなに多くのデバイスを使いきれないので、汎用性の高いデバイスにあらゆる情報が集中していったのがスマホである。このことを見抜いたスティーブジョブズと、情報家電の種類を増やし続けた日本の家電業界は明暗を分けた。
この汎用パーソナルメディアに対抗しうるもののひとつは楽器であろう。電子化とともに新たな発想の楽器作りに取り組んだ例が、楽器メーカーやオモチャメーカーからあったが、いまひとつのように思った。新たなものが定着するにはやはり時間がかかるので、電子機器の発達のテンポとはあわないのである。
スマホなどのパーソナルメディアと対の関係で、人と人を結びつけるメディアが発達すると思う。その一例が楽器になるだろう。遠隔地に人がネット経由でリアルタイムな合奏をする実験や、ネット経由での楽器のレッスンというのも行われたが、こういうイベント開発がこれからの一つの目標になるのではないか。
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