投稿日: Aug 18, 2010 11:15:11 PM
最近は専門バカを自慢する人が減ったと思う方へ
日本はモノ作りに誇りがあったせいで、エンジニアという言葉が好きだが、「私はengineerです」というのは、欧米の人の前で言わない方がいい。下水かエアコンの修理にでもやってきたのか思われるのが落ちだからだ。日本で言うと工業高校のイメージだろうか。理科系の高等教育を受けている人ならば、サイエンティストというくらいの意識が必要だろう。かつてDTP以前の段階でアメリカの印刷業界を見て回ったとき、日本なら割付や版下作業者に相当する人は自分をデザイナと名乗っていた。ベンチャーの創業時の哲学とテーマの話を『ピンときたら、創業を!』でちょっと触れたが、ベンチャーでも経営哲学を一席ぶつくらいの意識が必要なのだろう(あくまで意識であって、中身は欧米でもそんな話にならないものだが)。
またかつて自分のこととして「エンジニア=専門バカ」を堂々と宣言する人も居たが、さすがに最近はあまり聞かない。エンジニアという人でもメディア論をBlogで書くような人は増えている。そろそろエンジニアという自称を脱してもいいのではないかと思う。では情報を扱う産業に身を寄せる人は、自分の専門性を活かすためにどのような情報に接して、何を考えていけば、外部の刺激が仕事にピンとくるようになるのだろうか。日本はこういったお互いの触発の機会が少なかったので、近年「東京Camp」何々camp、何々ミーティングが活況を呈するようになった。でもまだ、なかなかcampやミーティングがある方向にフォーカスするところまではいっていない。
それは日本人がメディア論的な話が苦手で、それはそのまま今日のソーシャルメディア論が話し難いのと同じなのだが、コミュニケーションの話が、社会学的アプローチに行ってしまったり、インテリジェンス・認知とか「知」の世界、のようなものになり、ビジネスと結びつき難くなっている。「知」云々は絶対的なものではなく、社会全体からみると偏りの大きいものである。つまりたまたま採り上げやすいものだけが議論されている世界でもある。これはインテリが陥りやすい傾向ともいえて、自分に都合のよい聖域を設けて、そこに閉じこもってしまう点では「エンジニア=専門バカ」と同じことをしてしまっている。
ビジネス的感覚はそれらよりも制度設計に近いものだろう。つまり従来の世界に何かインパクトとか新たな効用を与えて、モノゴトの連鎖とか循環とかが繰り返されていくうちに、今までよりもよい状態に収束することを設計し、そこに自分のビジネス機会をポジショニングするような考えである。異なる見方をすると、社会のバランスが変わるところに新たなビジネスの機会が生じることであり、デジタルとネットという情報環境の大きな変化の中で、情報伝達が変化するとライフスタイルにどのような連鎖とか循環とかが繰り返されるようになるのか、という観察や考察にもっとフォーカスした方がよい。
日本でも何々camp、何々ミーティングでそういった議論もされるようになれば、さらにTEDのようなイベントにも目が向いてくるだろう。そういった開かれた視点がこれからのグローバルなビジネスの時代には重要だろう。