投稿日: Jan 05, 2013 3:8:57 AM
コピペのライターはいらないと思う方へ
レコードという商品化された音楽と、実際の音楽シーンは同じでないことを、記事『78rpmとともに滅んだ country blues』その他で書いたが、実際の音楽シーンはライブとか自分が携わる以外には知りようが無い。レコードは場所も時代も異なる音楽を聴くことが出来る。だからレコードは音楽を多くの人々に知らしめる手段である。レコードが人々に新しい音楽の啓発をして、それに関心を持った人が新しい音楽エクスペリエンスを拡大していく、というのが音楽の発展なのであろう。音楽雑誌はその中核をなす媒体であったと思う。しかし音楽雑誌というのも衰退している。音楽媒体がネットのダウンロードになろうとも、本当は音楽雑誌の役割はあったはずなのだが、もう音楽雑誌は戻ってこないのだろうか?
Webの時代になってMySpaceのような自己紹介サイトが盛んになった。facebookの時代になっても音楽家はMySpaceを使っている人は多いと思う。しかし音楽のライターや評論家は何をしているのだろうか? Blogを書いている人も多いが、それらはAmazonのアフィリエイト収入がいくらかある程度で、そんなに収入は無い。音楽家の場合は自分のページでダウンロード販売やCDBabyでの販売など、売るものはあるので、ネットの時代に干上がってしまうことはないが、ライターさんは雑誌の衰退の中でどうすればいいのだろうか? そもそもライターは不要なのだろうか?
上の図はアメリカの黒人音楽の商業化の歴史を示していて、1920年代では黒人が浸っている音楽シーンのごく一部しかレコードになっていなかったのが、次第に黒人以外の人にも売れるようになったことを表している。つまり黒い部分は黒人音楽の引き出しのようなもので、そこから部外者の知らない音楽要素が徐々にリークしていって、黒人音楽が発展したり広がっていくようになったといえる。
このことを音楽情報として考えると、、レコードの情報を追いかけるだけでは音楽の発展は捉えられないわけで、例えば黒人音楽ライターは黒い部分をどれだけ知っているかというのがミソになる。ところがネットの時代は、この黒の部分がYouTubeで相当見る事ができるようになってきたので、テキトーなライターはすぐ化けの皮がはがれるようになってしまった。
今、音楽雑誌が成り立たなくなってきているのは、従来のライターの質がネットの時代に対応しなくなってしまったからではないだろうか。もっともこれは音楽には限らず、ネットで得られる情報が増えたり、あるいはメディアに対する信憑性が揺らいでしまった状況では、ライターや編集者など情報発信側には従来とは異なるレベルが求められていると考えるべきだろう。現状ではネットから情報をコピペすることが増えて、ネットのメディアの劣化も目立つのだが、それを超えるのは相当気合の入ったメディアつくりをしなければならない。(ネット時代は印刷ベースの知ではなく、知の再構築が必要ということの前フリ文)