投稿日: Jun 13, 2010 10:15:34 PM
ソーシャルと産業界の軋轢が気になる方へ
日本の電子書籍では統一フォーマット議論があるが、出版が多様性を重視すべきという点からして、ひとつに絞ることは必要ない。それよりも出版の多様化がうまく機能するようなデジタルパブリッシング文化全体像を考えることが重要だ。音楽と書籍コンテンツでは人の接触の仕方が異なることは大前提としての話だが、特に多様性という点でビジネス上共通の点も多くある。それはビッグネームのメジャーな人とアマチュアの間に根本的な差がないことから生じる。しかし産業としては企業にとって重要なメジャーな人を擁護するようにいろんな制度が出来ていったと考えられる。それがインターネットのフラットな情報流通の時代に制度変化を求められている。
コンテンツ流通の世界は大まかに3層に分けられるだろう。パレート図的にいえば、少数のメジャーな人が大多数の売り上げを占めている。そこはPOPSや一般書のような売り上げ見通しが立ちにくいがヒットすると大きいミズモノで、マスマーケティング(A)によってビジネスがなされている。次に音楽ならクラシックや邦楽…という各分野や専門書のようなアタリ・はずれの少ないニッチ(B〕市場があり、さらに地域的・局部的(C)な小さなマーケットが無数にある。南西諸島では今でも酒場で自作のカセットテープが売られていて、本人もそこで歌っているような、仲間内の世界がある。出版物でも同人誌・コミュニティ誌・機関誌などがある。
これらABCは通常は別々に動いているものの、微妙に重なり合っている領域から新しいもの面白いものが生まれる。有線放送から火がついて大ヒットになったものも多くある。専門家が一般人向けに良書を書く場合も多い。だからAにとってもBやCは底で支える力として必要になる。権利問題も権利者保護も利益配分もABCすべてを考慮のうえでのベストを考えるのがコンテンツ産業全体を強くすることになるはずだ。そのためにはABCの間に垣根を作るのではなく、柔軟な構造にすることだろう。ABCをつなげるルートもなるべく多く開かれるべきだ。それはCからAへの上昇志向だけでなく、例えば有名人が地域やボランティアのために働くことも自由にできる方がいいからだ。
アメリカではレコードが売れる要因としてメディアとの共存関係があった。ラジオはレコードを流すために発明されたのかと思えるほど音楽だらけであったし、映画でプレスリーは世界的に売れ、TVでビートルズはリアルタイムにヒットするようになった。ただこういったマスメディアは放送禁止とか自主規制があって、伝えられない内容があるのだが、そこはアメリカにはジュークボックス向けの流通網が昔から別にあって、そのルートでかけられて放送禁止曲が100万枚売れてしまうこともあった。つまりメディアミックス・クロスメディアの環境が人とコンテンツとをうまくつなぐものになるといえる。
今は取引金額の大きいマス向けのコンテンツが代表のような顔をしているが、それは間違っているし、出版印刷が東京の地場産業となっているような東京中心の固定化も間違っている。ソーシャルメディアはそのようなことを暴いて、別の道、つまりコンテンツ流通のチャンネルを多様にしていくだろうことが、MySpaceやCDBabyから感じられる。