投稿日: Apr 10, 2015 12:55:36 AM
1980年代はおおらかな時代で、アメリカで出版物の編集や制作のシステムを見たいといえば、たいてい見学をさせてくれた。当時CADが盛んになりつつあり、マニュアルの電子化がされ始めていたので、いろんなプロジェクトを見に行った。先端分野と言うとどうしても軍とか兵器関係が多くなる。場所が若干近いということで西海岸の軍需産業関係のマニュアルのシステムを見ることが多かった。
企業訪問の問題は「足」であった。私は運転はできないのでタクシー利用か、誰かに送ってもらわなければならない。ところが一概にロスアンジェルス周辺と言っても関東平野ほどの広さがあるので、A社からB社に移動するのに2~3時間とかかかることはザラで、その間に車の窓から転々と並ぶ工場などを眺めていて気付いたことがあった。
要するにロスアンジェルスからサンディエゴまでの広大な平地を使って、ものすごい軍需産業ができあがっているわけで、特に原子力空母や潜水艦の集まるサンディエゴの海は、彼らが太平洋を制したことが納得できるような大規模のものであった。これらの軍需産業がいつできたのかというと、真珠湾攻撃のあとであったということだ。
第2次大戦の前と終了時でこれら西海岸の軍需産業地帯の人口は倍になっており、それはテキサス・ルイジアナなど南部から人を急きょ移動させて、空母や飛行機や潜水艦を一挙に作りだしたのだった。特に陸地では飛行機関係の工場が目立つわけだが、工場の中に滑走路をもっているようなところがいっぱいあって、今の自宅の傍が旧中島飛行場であるのと比べて、とても敵う相手ではなかったことがわかる。
真珠湾攻撃の頃は日本の軍備もアメリカの太平洋艦隊の軍備も大差はなかったようで、これら西海岸の軍需産業が立ち上がって戦力となるまでの空隙期間は、日本が南方の島々に進出しても安閑としておれた時期であった。しかし、太平洋艦隊が増強されたあとは、まるで戦力が比較できないほどの違いになって、南方の日本軍は壊滅をしてしまう。それが今天皇陛下が慰霊に訪れている島々である。
開戦当時の戦力比較だけでは日本も優位に見えたのかもしれないが、いくらでも工場拡張が可能な広大な平地、また移動可能な労働力の大きさ、それに資源・資金など、アメリカの内情を勘案すれば、やはり無謀な戦争を日本は仕掛けたことになる。
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