投稿日: Sep 20, 2014 1:15:23 AM
9月中ごろの新聞に京都のライブハウス拾得のことが出ていてびっくりした。1970年代初頭の頃に私も京都の学校に通っていて、そこから歩いていける拾得にはしばしば行った。拾得は酒蔵の内部を自分たちで改装してライブができる店にしたもので、入り口は蔵のままであった。また住宅密集地であるにも関わらず、内部で爆音を出していても外には音が漏れないつくりだったので好都合だった。
当時は学生の手作り喫茶店やライブハウスがいっぱいできていた。椅子もなくビールのカートンをひっくり返して座布団を置いただけの店もあった。店のタイプは、フォーク系、jazz系、ハードロック系、ブルース系、などがあり拾得はブルース系でトップのクオリティだった。ハードロック系はライブはあまりなかったようで、主にLPを爆音でかけていた。
一般にはフォーク系がマスコミなどでも紹介されて、またそういったところを背景に70年代の日本の音楽は特徴づけられた。ブルース系というのは全くの新ジャンルで、そもそもそれまで日本人でやっている人がいなかったので、早い者勝ちのような状態だった。拾得で当時最大の人気者であり成功者は上田正樹で、ブルースとしてもソウルとしても完成度は高かった。その他ウエストロードとか憂歌団などが後に有名になった。でもまさかプロになるとは当時は思わなかった。
今では各県庁所在地には似たようなライブハウスが1軒くらいはあるのではないかと思う。そこに出ている人たちでプロを目指している人は殆どいないであろう。アマチュアでカバー曲中心でやっている間は楽しいだろうが、プロとして、特にオリジナルのレコードを出し続けていくのは洋楽では難しい。日本では音楽の「仕入れ」が少なすぎるからである。拾得は昼間は客がいなくてバンドが練習をしていて、そこへアドバイスをしに行くということもしていた。一般的にいうとリズムセクションのビートが弱かった。そのころ黒人の本物のブルースを聴く機会は殆どなかったので、それを補う意味もあってレコードの輸入販売をし、もっとたくさんのブルースを聴いてもらいたいと思った。通販のお客はバンドをやっている人とかラジオのDJさんで、結構まとめて買ってもらっていた。
その後日本でも多くのブルースのレコードが発売されるようになって通販をやめたのだが、今またブルースはあまり発売されていないような気がする。ここ10年くらいでCDショップというのがどんどん縮小していったが、その過程でそれまであったブルースのコーナーというのが先に消滅していった。一方でAmazonでも他の通販でも世界中のCDが手に入るようになっているので、マニア的な人には悪い時代ではないが、一般人が黒人のブルースに接する機会はどんどん減っているように思う。
しかし白人のブルースは来日公演なども続いていて市民権を得ているように思える。かつて白人ブルースレコードを介してブルースに接したバンドは大体がBEATが弱かった。黒人のバンドはリフを延々と繰り返すインストのレコードも結構あるのだが、そういうのは日本人には飽きられやすいし、あまり真似をするバンドもない。ここら辺に音楽解釈の差があって、日本のバンドのブルースに腰の据わった感が足りなかったように思う。
あれから40年、最近は日本のライブハウスにはいったことがないのだが、ビート感は強まってきているのだろうか。
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