投稿日: Aug 13, 2015 1:55:27 AM
日本の古代史の区切り方は、縄文・弥生という土器の様式によっているが、その内実は大陸からもたらされた農業をベースに社会を構成したのが弥生時代であって、その水田とか灌漑のやり方は今日でも受け継がれている。西日本では弥生時代から古墳時代あたりに作られたため池が身近にあった。古墳の周濠もため池を兼ねていたといわれる。
時代が下って殿様の頃になると、河川の付け替えとか農業用水を広域に行って、藩とかの規模で農業の生産性向上に取り組んでいた。農民は小作として労働力を提供しているだけで、農業経営は藩がしていたということだろう。
戦後の農業改革は農家を独立させて、それを農協が支援するスタイルになったのだろうが、国とか農協に指導される農業経営がうまくいっているようには見えない。むしろニュースを見ていると間違っていると思われるところがよくあるし、そもそも真剣に農業経営を考えている人が行政には居るのかと疑問に思ってしまう。
長らく日本の農政は水田が主体であったのに、休耕地が増えて海外からコメを輸入する量が増えている。実態としての農政は放棄されて、役人は帳簿管理だけをしているのではないか。
しかし農民は頑張って何とか換金作物を作ろうとした結果、野菜の種類は世界一豊富ではないかと思うくらいになり、またウマくなっていて、これが日本の食文化を押し上げているように思う。日本中どこに行ってもビニールハウスを見かけるが、農業をするといっても管理コストとか燃料代とか経営を圧迫する要因も増えている。
昨今植物工場の破綻がいろいろニュースになっているが、これもコストがかかり過ぎているからだろう。開設のための補助金が億という単位ででたことから着手した人も居るだろうが、野菜の商品単価で設備投資が回収できるわけがないし、もっと別の経営の考え方が必要になる。
つまり弥生時代の溜池や灌漑、その後の河川工事でも、農家が自分で費用を背負っていやっていたわけではなく、水はインフラとして供給される前提で農業をやっていたのだから、今日のビニールハウスで考えるなら、地熱とか地域暖房でビニールハウスの熱源は農家にはタダ同然で入るようになっているべきである。地熱は温泉など伝統的な地の利を活かして利用されているが、工場やゴミ処理や発電所の排熱利用、バイオガスその他何でも地域で熱源提供できるところと地域農業を組み合わせる施策が必要だろう。
植物工場も高濃度のCO2を排出するところに設置すればよいわけだし、既存の産業が地域農業に貢献できるネタを持ちよって、地域の総意として農業ビジョンを作る必要があるだろう。そういう協調体制をなしに、農家が自分のリスクで新しい経営をやれというのは無謀だ。