投稿日: Dec 14, 2013 12:33:31 AM
何が変わって、何が変わらないのか
50年前の東京オリンピックの頃の日本と今の日本では環境が大きく変わっていて、時々そのことを思い出す。日本はまだ今のアジア諸国のような面を多分に持ち合わせていた。男子の立小便はフツーにされていたし、和服の婆さんが道端の草むらでしゃがんで小便をしているのを見たこともある。トイレは汲み取り式。アパートの学生は窓から外に小便をしていた。これらのことは北京の裏道で小便の臭いがした際に思い出したことだが、今の北京は小便の臭いも随分やわらいだ。
東京オリンピックだか万博だか忘れたが、BG(I am a business girl などと使う)という呼び方をやめてOLにするようにというお達しがあった。BGは売春を意味するからだといわれた。こういう和製英語の矯正があった。英語ブームというのもその時が起点ではなかったか。服装についてもいろいろ正されて、オッサンがステテコ姿で街に出ないように指導された。婆さんも和服から洋服に変わっていった。当然町並みもきれいになった舗装道路が整備され、これが立小便をしにくくしたと思う。水洗便所化が進み、公衆便所も急速に増えた。
こういうアジアから欧米化という市民生活の刷新があって文化的変容という面での消費の増大もあったと思う。しかし今度のオリンピックではもうそのような経済的な効用は期待できないだろう。当時は新聞社もまだ記事を送るのに伝書鳩を使っていた。宮城から東京まで飛ばしたことを聞いたことがある。関東平野一円の取材などでは十分実用になったのだろう。まだ公衆電話も十分にゆきわたっていなかった時代は、記者は鳩をつれて取材していたのであろうか。今はアジアでも鳩は使っていないと思う。
職業というのも今ではすっかり変わっていて、当時はまるでスチュワーデスが先端的な仕事であるかのように思われていた。ソロバンが得意だから銀行に就職する、といった時代だった。読み書きソロバンは就職の武器だった。なにしろ当時の町工場の職人さんの中には四則演算が怪しい人もいた。まだコンピュータがない時代だから、計算するとか記帳するなど知的単純労働の雇用はいくらでもあったのである。今はアジアでもこれらのパソコン化は進んでいて、むしろ日本の方がまだ手作業を残している(役所など)ともいえる。
こういう昔話はホジクリだすと無限にあるだろうが、それらの中から今日の社会変化の必然性を見出す目的で、一度いろいろ点検をしてみるとよいと思う。