投稿日: Aug 13, 2012 12:26:39 AM
五輪の閉会式を見た方へ
ロンドンオリンピック開会式や閉会式にはロックミュージシャンが紅白歌合戦のように次々出るので、家の者がああだこうだとリビングで騒いでいた。それらを横目で見ながらスタジアムの照明やディスプレイが近年大きく変わってしまったことを感じた。
北京五輪の時はTVをあまり見ていなかったのでよくわからないが、きっと今回のイギリスと似て、LEDとCGのようなものが多用されたのであろう。電球と違ってLED素子にはそれほど大小のバリエーションがなく、大型TVでも懐中電灯と変わらないLEDがたくさんついているだけである。クリスマスのイルミネーションに使う豆電球のような小さい単色ものは1個1円、懐中電灯のようなものでRGB可変で何十円という単位になる。これらをまとめた照明モジュールがインテリア・エクステリア用として何千円で売られている。従来水銀灯を使っていたところではLED化で電力は数分の1になるので、もっと大きく夜の景観デザインに使うようになってきた。
以前は建造物のライトアップをしていたようなところで、LEDの照明をつけてコンピュータコントロールするとか、橋梁や公園全体をコントロールしているものもある。つまりライティングと、舞台照明とかディスコ・カラオケ、さらに街角の大型ビジョンといった照明も表示も融合したものになりつつある。新しい商業施設や駅・空港などは太い柱がデジタルサイネージ化しているところが少なくない。天井のようなところもサイネージ化できるようになっていて、プラネタリウムを表示している場合もある。照明環境と表示環境の根本的な区別はなくなっていく。従来は建物に照明があって、表示はあとからつけていたが、例えば緊急避難経路の指示は天井や柱のディスプレイを使って誘導するということを最初から考えるようになるはずである。
従来のOOH(外部広告)は建物の表示に付随してあったようなものだが、後付ではなく、最初から表示をデザインすることは行われるだろう。例えば交差点にある大型ビジョンディスプレイなら、信号機の切り替えと連動して表示をコントロールする方法がありえる。これは別に警視庁と連携しなくても、信号機の色を判別して、歩行者に対して止まれの期間と、渡ってよい期間で内容をかえることで、信号の役割を補佐できるかもしれない。つまりある場所の視覚環境として表示を考えると、いろいろなディスプレイがてんでんバラバラに視覚情報を氾濫させる方法は決して気持ちの良いものにはならないだろう。照明や表示のLED化でコンピュータコントロールが可能になることは、視覚環境の再デザインが求められるようになることだろう。
では誰がそういった視覚環境デザインを担うのであろうか?オリンピックの式典の演出は映画監督が行っていたと聞くが、それはもっともだなと思う。つまり全体感の問題であって、今から渋谷の交差点をリデザインできるかどうかは知らないが、街角の再開発をする際には行き交う人のことを考えて、こうしたらよいだろう/このようにならないようにしよう、ということが決められていくのだろう。また駅のプラットフォームのようにいろんな表示が渾然としているところもデジタルディスプレイ化で再デザインする余地はあるように思える。従来は広告がめいめい勝手なことをしていた街角の風景も視覚環境の再デザインの対象になっていくだろう。