投稿日: Mar 10, 2011 11:0:38 PM
機会も課題も多いと思う方へ
コミュニケーション手段の多様化で、従来の個別とマスの2極化した方法の隔たりを埋めるデジタル&ネットのコミュニケーションが可能になること期待がある。ソーシャルメディアを使って新しい社会ができるだろうという議論は多いが、傍観的に語るだけではなく、自分の問題としてソーシャル云々を考えるべきだ。人は誰でも必ずどこかの集団に帰属していたり帰属したい願望があるので、この帰属の「見える化」というのがメディア化であるし、それをいろいろなソーシャルで行うための汎用プラットホームとしてFacebookのようなSNSがある。Facebookは何億人のフラットなコミュニティでしかないので、そういったプラットホームを身近な集団の単位でどう関連付けて活用するか、つまりそれぞれの集団の独自のメディアとの連動などが目下の課題であろう。
これはかつてのメディアが出版社などコンテンツホルダ側からのトップダウンであったのに対して、ソーシャルメディアは情報共有したい人の側からのボトムアップで成り立つという逆のベクトルである。まず特定テーマなどを核にできあがっている流動的で見えない集団を「デジタルメディア」に乗せるためのオーガナイザが必要であろうことを記事『個人と全世界の間を埋める』で書いた。それは従来の出版活動と近い点と異なる点があること、また出版に比べてそのコミュニティの問題解決を中心に考えるべきことなどを、数回のシリーズで書いた。
しかもソーシャルメディアを核とした情報流通は既存メディアに対して劣るものではないことを、『当事者に語らしむべし』 『断片的メディアから継続的メディアへ』で書いた。また記事『新旧メディアの間の深い溝』では若い人を対象に勃興しているソーシャルメディアと旧世代旧メディアがすれ違ったままで両者の意識の違いは非常に大きいことを書いた。コラボはこれからの課題であるが、一挙には進みそうにはない。お互いに多くの課題を抱えているのだが、ソーシャルメディア側はなにかと未熟な点も目立つようになった。記事『不完全燃焼のアマチュア動画』ではプロジェクトやシナリオ制作の能力の課題、記事『煽ってけしかける、は恥ずべきこと』ではデジタルメディアに携わるなら少なくともアナログ時代のメディアリテラシーは踏まえておく必要があることを書いた。
このBlogの形式で書き始めてちょうど1年ほど経ったわけだが、デジタルメディアを巡るトレンドやトピックスを煮詰めると、だいたい上記のようなマクロトレンドが見えてくる。しかしデジタルメディアに関わる人を応援するところが日本には少なすぎる。マスメディアが絶好調であった時代には、マスメディアに携わった記者や放送作家などが文化人となって巣立っていって、そういった先輩と現場のよい関係でメディアビジネスそのものが学校とか私塾のように機能して次々に人材を輩出した。旧来メディアの斜陽が言われる今日では、そのようなことはなくなりつつある。逆にデジタルメディアの側が人材育成をうまくしていくことが、せっかくのチャンスを活かすためには重要になってくる。