投稿日: Mar 11, 2013 1:9:55 AM
メディアはコツコツ築くべきだと思う方へ
HuffPost日本版が時々話題になるようであるが、やってもらいたいと思う反面、日本で実現した場合の変節というのも気がかりな部分である。新しいメディアの登場を日本版にする時には、最初アメリカなどで始まった時の背景が日本には揃っていないと、同じようなものにはならないし、そもそもメディアはそれをみる人たちが違えばメディアの果たす役割も違ってしまうものであるから、海外から雑誌タイトルだけをライセンスしても日本流にアレンジしないと経営は成り立たないものであった。その日本流アレンジが吉と出るか凶と出るか、つまり日本へのインパクトが大いにあるのか、滑るのか、というリスクがある。
Wiredの場合は、見かけはド派手ではあったけれども、アメリカ西海外の科学者の意欲的な面が出ていて、スタンフォード大やパロアルト研究所が何をしているのか理解するにはよいものだった。これを日本版にするには、スタンフォード大やパロアルト研究所の紹介でよいのか、日本の大学や公的機関やメーカーの研究所をどれくらい取り上げるか、それらをミックスするとWired本誌の西海岸カルチャーが感じられなくなるのではないか、など気にしていたが、結局は日本版Wiredには興味を持てずに終わってしまった。Wired本誌は今も続いている。
HuffPost日本版でも日米事情の差をどうするかが避けられない。アメリカの場合は既存の新聞発行においてもフリージャーナリストが契約していたのが、紙の新聞が斜陽になるにつれて自立的な活動を強め、その発表の場としてHuffPostを使って盛り上げてきたような背景は日本にはあてはまらないと思う。日本の新聞記者はサラリーマンなので、自ら紛争地帯に飛び込む現場主義はすっかり薄れてしまっていて、それが迫真の記事ができない理由であるからだ。湾岸戦争の時はアメリカに攻撃されているイラクに入り込んで報道を続けたCNNとか、天安門事件の際も欧米のメディアは中国に潜り込んで報道をしたようなスパイさながらのフリージャーナリストの歴史があまりない。先般シリアで亡くなられた山本氏のような人がいれば、契約や投稿によるすごいニュースができることになる。
さらにネットニュースの難しさがある。そもそも市民の投稿新聞というのは過去に失敗していて、それは最初の原稿の質を確保することと、ネット新聞にした場合のコメントの扱い方のようなソーシャルなコントロールという、2重の負担がかかってくるから難しいのである。むしろ記事とコメントが分離された紙媒体における一方通行の情報伝達の方が管理が簡単である。少なくとも今回のHuffPost日本版というチャレンジは、このソーシャル新聞の試みであろうと思われる。それはやるべきことだが、結構地味な活動だ。マスメディアのような一挙に世間の話題をさらうような野望では市民新聞と同じようなことになってしまわないかと心配である。