投稿日: Feb 24, 2014 11:58:23 PM
コンテンツビジネスの共通点
日本のネットでの音楽配信も下降し始めた。AppleのiTunesに代表されるダウンロード購入のモデルは限界がきていて、会員制とか月額課金で聞き放題のサービスの利用に移行している。その理由は単純で、スマホの普及によりどこでもダウンロードできるようになったからだ。かつてのiTunesはパソコンにダウンロードして楽曲の管理をするモデルであったのが、スマホではそのようなまわりくどことはできないからである。
コンテンツにどのように課金をするかが常に話題になるが、だいたいは目安がついてきたと思う。テレビの視聴のように何十万何百万人を相手にする場合は、毎日見るとかしょっちゅう見るので、個々のコンテンツに課金をすることはなく、民放のような広告モデルとか、NHKや衛星放送のようなチャンネル課金になる。これは音楽や映画などにもあてはまっていて、マスメディア的な大量コンテンツ垂れ流しモデルで、基本はデータの保存は保証しない。つまり「購入」ではなく「利用」の代金を払うだけである。電子書籍の場合はこれを巡って悩んでいるように見える。
つまり本は従来はモノとして購入していたので、今後電子書籍を垂れ流しモデルで売ることに躊躇している方々がいる。それは以前から本には「積ん読」という購買パターンがあって、すぐに読まないけれどもいつか読みたい、置いておけば役に立つかもしれないというような、購入と情報消費に時間差があるものが結構あるからだろう。
音楽においても熱心なマニアが居るクラッシックやJAZZなどは「財」として購入されて、購入と情報消費に時間差があるものがある。一方電子書籍でもケータイ漫画のように利用者が蓄積しないモデルでもよく使われたものもあった。つまり音楽・映画・書籍などメディアの性質が異なると、販売形態が同一視できないまでも、モデルとして別の視点で考えてみることが必要だ。
ネットで盛んになるのは垂れ流しモデルであって、パッケージモデルでないのは明らかだ。しかし、このことは知財権論争における利用制限にも影響を与えるだろう。垂れ流しモデルのコンテンツは他人に販売することはあり得ないし、「財」として購入されたものは譲渡ができないとおかしいからだ。しかもマニア向けニッチ市場のものでなく、一般性のあるものなら、同じコンテンツが場合によっては垂れ流し、別の時には「財」とみなされる場合もあるだろう。つまり法的解釈を先行できないわけであるから、コンテンツビジネスを進めながらルールを作っていくことになる。(こういうやり方は日本人は慣れていないが)
インターネットとともに進化した情報検索という方法は、情報に対して受け身の人に利用させるには限界があり、どこかでマスメディアのような幕の内弁当的お任せメディアが復興するかと思われた。それが現実化して既存のマスメディアとは別に「聞き放題」「見放題」のサービスができつつあるのが冒頭の音楽分野の変化である。
スポーツなどは放送分野がコンテンツを押えているのでネットでの配信に制約が多いが、雑誌のような分野は企画さえ面白いものになれば「見放題」のサービスに再構成ができてウケるのではないだろうか?
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