投稿日: Sep 28, 2015 1:39:10 AM
デジタルやネットで物理的な「形」のないコンテンツのビジネスがやり難いといわれる。これは大ヒットのようなものではネットでも売れるのだが、もっと数が出なくての形あるモノではそこそこビジネスになっていた分野がデジタルやネットでは経済化し難いことを言っていると思う。
その理由は何かはっきりした根拠が見つかるものではなく、多分に生活者の中にある気分的なものと思われる。書籍では「積ん読」需要があったが、レコードでも同じで、近未来に読みたくなった時に手に入らないかもしれないという心理で、ひとまず購入だけはしておくという習性がある。書籍の場合には1年半ほどすると本屋の棚から消えてしまうからで、これは他のパッケージ媒体の場合にもあてはまる。
ネットでは日が経つと入手できなくなるとは思われないが、こういう心理を見越して「期間限定」のコンテンツ提供というのをしている。それは販促手段の一種にしか過ぎず、形のあるコンテンツの場合の希少性という性質とは似て非なるものである。雑誌はほぼ全部が期間限定であるが、それをことさら希少性と考える人は少ない。
この希少性というのはもっと深く考えてみる価値があると思う。本やレコードの希少性は売り場の制約からきている面と、再販制度によって売れ残りが安く放出されないということからも、日本では大きな要素になっていると思われる。
また「積ん読」は家庭内の在庫を増やすとともに、それらが可視化されているので個人ライブラリーを形成する効果があり、個人の収集傾向をよりはっきりさせる効果もあろう。つまりライブラリー充実という心理も働いて、「積ん読」需要は逓増するのだろう。
実際には同じ本を2冊買ってしまったことが起こるように、個人ライブラリーは頼りないものである。これをきちんと管理できる人がコレクターなのであろうと思う。
さらに「積ん読」の刺激要素になるのが、書店やレコードショップの商品陳列方法にあって、店内を徘徊しているうちに「今もっとも欲しい」モノだけではなく、2位3位という欲しいものリストが頭の中にできてくることだろう。最近のネットショップは画面のどこかに見ている人が今しがた辿った足跡が表示されて、さっき目を付けた商品に戻れるようにしているとか、ショッピングカートにとりあえず入れてから後でじっくり選別できるようにしている。しかし店舗で商品を手に持って徘徊するのとは印象付けの強さが違う。
ここもコレクター心理の強い人はライブラリー充実を考えながら店内をもう一周することになるのだろう。確かに今のところは店舗の方が「積ん読」指向に合致しているようではあるが、もしEC側がもっとインテリジェント(人工知能的)になれば、個人のライブラリー予備軍を先回りして構築するようになるのではないかと思うようになった。