投稿日: Dec 23, 2014 1:42:23 AM
コンテンツビジネスは音楽でも電子書籍でもネットでの少額課金で喰っていこうとしているのかもしれないが、それでは従来のパッケージ媒体や紙での1000円~2000円単価の売り上げはいつまでたっても達成できず、過去の会社経営のままでのデジタル・ネット移行はできないだろう。
そこで何とかネットでも単価を上げたいというもがきをしているように見えるが、おそらくコンテンツの単価が上がることはないだろう。それはパッケージ媒体や紙でさえも、TutayaなどのレンタルやBookOffなどで安いコンテンツに慣れてしまったからである。大衆向けのコンテンツとしてはそのくらいの取引価格であるのが本来なのかもしれない。
つまり過去の日本の大衆向けコンテンツが高すぎたのではないかと思う。45回転のレコードはアメリカでは1ドルのものが日本では何百円かで売られていた。それはPictureCoverの付加価値も含んでいたのかもしれないが、必ずしもみんなが写真や歌詞を必要としていたわけではなかった。昔、アメリカの散髪は細かい料金設定があって単にカットだけなら安いと聞いた。日本でも散髪屋護送船団時代が終わってQBハウスなどが登場しカットのみ1000円になったように、レンタルや中古流通で安いコンテンツの利用が浸透した。
以前、記事『あの手この手のコンテンツビジネス』で、ハリウッド映画の収益構造を書いた。映画の初上映から得ている収益の割合は全体の28%に過ぎず、一番大きいのはビデオのセルやレンタルで、そのほか非常に細かい収入がいくつも連携している。さらにこの外側には、原作を映画にするかアニメにするか、小説、絵本、放映、などなどのメディアミックス戦略があるはずである。コンテンツビジネスがビジネス足り得るのはそういった分野に限られるのではないか。その中に位置づけられる個々のメディアや制作や配信はもはや大したビジネスではなくなるのだろう。今の電子書籍も音楽配信もその世界の出来事のように思える。
そう考えると今の出版社やレコード会社はマーケティング機能が乏しいのだから独立した会社である必要はなく、制作レーベルに格下げするのが妥当ではないか。そこで実際に制作の実務能力を高めていって商売すればよいように思う。つまり外注をなくして自分たちで何でもすることで付加価値の流出を防ぐとか、逆に外部のスタッフをまとめてプロジェクトチームを運営するとかである。大衆向けコンテンツビジネスは小さいながらも一国一城の会社がやっている時代が長く続き、そこではコンテンツ制作の下請け構造からSOHO・バイトなど多くの働き手を抱えたのだが、こういったところも全部を含めた新たな効率的システムが必要になると思う。
Top → Articles デジタルメディアビジネスの記事 過去記事→Archive