投稿日: Nov 04, 2014 12:56:57 AM
ネット上のサービスで一獲千金を狙うような話とか、それに関連したベンチャー投資の話は、Webが始まった20年前ならみんなワクワクして飛びついたのかもしれないが、今となっては胡散臭く感じるだけであるのに、やはり次から次からでてくる。しかし数年単位でみるならば、本当に大きなサービスになったものと、アドバルーンが萎んでしまったものの対比は明瞭にわかる。きっと誰かがそういう分析もしているだろう。
そんな中で大きく育ったのはYouTubeに代表されるショート動画である。これは最初はテレビのキャプチャが多かったものの、スマホの普及とともに投稿ものの比重が増えて、かなり意味合いが変わりつつあると思う。
YouTubeの当初の狙いは自作ビデオの投稿であり、これは個人やグループの活動においても、いろいろなプロモーションがやりやすくなったことで成果は出ている。しかしYouTubeは見る側にとって動画がどのような意味合いのものになるかについてはあまりコメントしてこなかったと思う。
まず娯楽面では、テレビ放送でも人気ネット動画を紹介するコーナーができたり、ネット動画をネタとして番組企画をするようになったという点で、相当価値の高いコンテンツが生活者・消費者の中から湧いてくることが実証されたと思う。事実若い人は1日にネット動画を1時間は見ているという人もいるくらいで、テレビの視聴時間を奪うものとなりつつある。
また事件・災害時に於いては、3.11東関東大震災とか、最近では御嶽山の噴火のように、その場に居合わせた人の撮った動画がもっと貴重な資料となって、報道期間もそれらを集めることが最初の行動になりつつある。最初に一般人が投稿した際にはYouTubeでいつも見られる状態であったものが、放送局とどういう契約をしたのかしらないが、削除されてしまうとか、あるいは一般人が撮ったものをネットにアップする前に放送局がもっていってしまって、ニュース映像などにして、ネットへの転載が起こったらYouTubeに削除させるようなこともある。
こういった事故・事件・災害に関らず、動画は狙っていて撮れるとは限らないものがある。今までの映画製作者は山に登って野生動物を探し回って、やっとその姿をとったとか、鳥の鳴き声がやっと撮れたとか、人をはっとさせるシーンを獲得するまでに多大な努力をしていた場合がある。しかし一般人がトレッキングの途中で遭遇した動物をスマホで撮った場合でも、結果としての作品は大差がない。プロが作成する場合には、そこがどういった場所であるのかという、周辺情報も映像化されているので、編集で前ふりをつけてクライマックスとして幻の野生動物が登場したりするが、素人が偶然撮った動画は断片的で短いという違いはある。
しかし断片的でも動画は独立したコンテンツになることがYouTubeで証明されたと思う。これをテレビや映画の基準で制約するようなことがあってはならないと思う。動画に関する権利というのは、引用とか肖像権・背景の知財権などの関して過去の判例はいろいろあるものの、動画を撮る機会が大きく変わりつつあるので、おそらく従来のメディアに仕立てる立場が中心であったものから、撮影者個人を中心にしたものへと、いろいろな見直しが必要になるだろう。
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