投稿日: Mar 29, 2013 12:1:10 AM
統計が万能ではないと思う方へ
コミュニケーションシステムやコミュニティサービスに「ソーシャル何々」という冠をつけることは減ってきているように思える。日本の企業はなかなかソーシャル何々には対応しないのだが、それは元々ユーザーのご意見箱的名機能をもたなかったからである。なぜご意見箱ができないのかというと、大した意見が来ないから、と説明するだろう。よく製品にユーザー登録やご意見用のハガキが添付されていたが、それらを使う人は滅多に居ない。生産者も消費者もあまり対話するという意識はもっていなかったようである。
以前に定期購読雑誌をしていた時には読者ハガキをやめてmailとか掲示板に切り替えたことがあるが、それでレスポンスが増えるわけではなかった。一般に読者ハガキは抽選で何かがもらえるというインセンティブがつくので、何百人にひとりくらいの反応が得られたが、まだその時はネット人口が限られていたということもあって、逆に掲示板の方がレスポンスが減ってしまった。
こういう傾向はネットの時代になってもあまり変わっておらず、Webでもコメントを書き込む人は1000人に一人とかの割合だと思う。よくソーシャル云々の仕掛けで、皆さんの要望で…という企画があるが、本当に利用者の意図を理解するには10万という規模の向き合ったアクティブユーザーが居なければ、統計的な分析はできないだろう。
それ以下なら意見を集める意味が無いということではなく、直接意見を聞くことは貴重な情報ではあるが、それは統計的な意味を持ちにくいということである。一般にコミュニティ型の専門的とか地域的、同人的なメディアは10万と言う利用者はいないので、そこでは統計よりも別のところに価値基準を置く必要がある。
つまりそのコミュニティが共有する価値を鮮明にすることがコミュニティの結束力になるので、そのことに役立つような利用者の意見を集約していけばよい。日本人はネットでもリアルでも対話に躊躇がある民族なので、対話を起こすリーダーシップがコミュニティ型メディア(ミニコミも含めて)の生命であるともいえる。これは雑誌つくりと似ているようにも思えるが、雑誌の企画・編集は読者の波紋を起こすことが主眼になっていて、その波紋の先に何が起こるかには、あまり頓着しなかった気がする。
しかしネットメディアが紙と違うのはfacebookのように常時接続というか不断の関係を持ちえるわけで、情報提供の先に起こるアクション・リアクションこそが新たな関係強化をもたらすようになるからだ。サービスの推進者には、こういった段階の舵取りができるか、あるいは担う気があるかどうかが問われるわけで、逆に統計によっては想定できない面白い発展も有り得る。
現在安直に増えている、ソーシャル云々の仕掛けで、皆さんの要望で…という企画の課題は、本気でとことん利用者と向き合って付き合っていくのかどうか、その腹ができていると感じてもらえるか、だと思う。クラウドファンディングは実際には難しく、設計変更が必要になった時点で破綻しがちであるという。実際にモノ作りは試行錯誤があって、設計変更は有り得るわけだが、支持者が減ってもそうして前に進むかどうかという、解の無い悩ましい状態が続くであろう。