投稿日: Nov 03, 2010 1:25:38 AM
ネットのビジネスに特別の厳しさを感じる方へ
子供の頃に読んでいた暮しの手帖で「美空ひぼり」のことが書いてあったことがある。当時日本の製品は欧米の優れた製品の真似が横行していて、しかも性能的には本家に及ばないものであったことを、さまざまな商品テストを通じて暮しの手帖は記事にしていたので、その関連で「美空ひぼり」のことが書かれたのだろうと思う。それまで日本人が考えたものだと思った身近な製品の多くが欧米品の真似であることを知って、これでは日本はヤバいと思わせた。その後日本製品はオリジナリティでも製品の質でも欧米製品を追い抜くようになり、世界を市場にすることができた。そのことが暮しの手帖のお陰だとは言わないが、日本人の意識を変える努力は重要である。特に今日では。
その後にコメディアンのエノケンが亡くなった際の追悼番組で「エノケソ」という芸人が登場したのを見たことがある。おそらく「美空ひぼり」もそうであったのだろうが、地方巡業で生計をたてていた。地方の興行で「エノケソ来る!」というような看板に惹かれて人々が集まっていたという。エノケソ本人は悪気はなく、小さいときからエノケンが大好きで何度もエノケンの出る映画を観て真似に励んだという。番組では自分の体験を通して知ったエノケンの凄さを説明していた。今で言えば物真似芸人のようなものだが、当時の日本では正々堂々と物真似では食えないので、怪しい興行になってしまったのであろう。
オリジナルが一つしかない場合には代用品が必要な場合がある。日本の家電メーカーが扇風機でも炊飯器でも冷蔵庫でもみんな横並びに似た製品を似た価格で提供していたのは、広告を見て欲しくなった消費者が住む地域では、そのメーカーの販売店がない場合に、手に入る互換の他社製品があるとよいからである。つまり各メーカーが系列店で販売していた時代のような、限定された物流の世界では、お互いの補完関係は必要だった。「フジとコニカ」とか、写植の時代に「東の写研、西のモリサワ」も同様である。しかし、物流が全世界に行きわたるようになるとか、商品の物質性が無くなったソフトウェアの場合はこういうことが成り立たなくなる。つまりソフトウェア化は物的商品流通のパラダイムをぶち壊す。
パソコンの黎明期には各電気メーカーがそれぞれ独自のものを作っていて「何々Basic」というちょっとずつ異なるものを実装していて、それは結局MS-DOSとそのBasicに席巻された。アプリケーションソフトも自由に流通しだすと二番煎じの出番は無くなってしまいMSOfficeが独占的になった。マイクロソフトに独占欲がどれだけあったかは知らないが、雑誌の評価で一番になるように意固地に仕様をアップしていたのは事実である。同社の独禁法云々もうやむやになったのは、物的商品とは同じように考えられないソフトウェア製品の性質が影響していると思う。むしろソフトウェアに独禁法云々を持ち出す方がとぼけている。これは今日のネット上のサービスにもいえることで、Amazon の真似やeBayの真似は、そのままでは通用しない。SNSもクーポンもそうであろう。人の成功話を受け売りすることも気をつけなければならない。