投稿日: Nov 06, 2015 1:20:11 AM
日本やイギリスでは人はヒットチャートとかランキングを好む傾向にあるが、アメリカには多様性があって大多数の国民がひとつのコンテンツをもてはやすことはないことを以前に書いた。特にアメリカで生まれたロック系に関しては、ヒット性よりもライブで受け継がれている要素が強いことを、記事『60年代音楽再考察』に書いた。受け継がれているものは地域差もあって、それが多様性につながっている。これは別の見方をすると自分たちの音楽を大切にするあまり、排他的になりがちなことでもある。しかし相互に影響を与えることもあり、排他と融合が交じり合っているのがアメリカの音楽である。
1950年代からロックは世界中に広がっていったので、日本でもロックの国内市場は形成されているのだろうが、その楽しまれ方は本場の本物と比較して優劣を考えるようなものではなくて、ライブが楽しめたかどうかが重要な要素のはずだ。決してレコードやCDなどの音盤の評価だけでコンテンツの序列を決めるようなことはしてこなかったし、意味もない。
しかし一旦音盤になると、ランキングの話がでてきてしまうし、それが常態化すればそれぞれのジャンルに「三大何々」、「四天王」、などのラベルが貼られるようになる。それに引きずり回されていたのが音盤の時代である。
今、CDが売れないのでどうしようか悩んでいる一方で、ライブ関連のビジネスは伸びているので、音盤時代のランキングによるマーケティングから離れて、違った視点のファン作りをすることが、新人からベテランまで課題になっていると思う。ロックは元が輸入音楽なので日本の街々のライブにおける定着はなかなか難しいものがあったが、今は「何々市」という行政区レベル(人口何万人か)では何らかの活動があるのではないかと思う。とすると、そろそろローカルなロックとか土着化による多様化の時代を迎えるのではないか。
記事『ロック x 土着性』では沖縄や河内音頭などでロックの土着化がみられることを書いた。将来にわたっても全国的にヒットを出すスーパースターは生まれるであろうが、そうしたスターの土壌としても地に足をつけたロックの継承がどこでも行われている必要があると思う。さて、では今のロックの音楽活動に何が足りないのであろう?それは地元メディアとの連携が薄いことではないか。ちょっと以前ならタウン誌・シティガイド・フリーペーパーなどが盛んだったので、そういうところに頻繁に露出できればよかったのだが、そういうメディアも広告以外のことを載せる余力が無くなってしまった。
ミュージシャンが個人レベルでマーケティングをするのはなかなか難しいだろう。かといって半アマチュア音楽家にプロモーターやエージェンシーが力を貸してくれるわけでもない。あるとすればライブをする店くらいかもしれない。昔は「ぴあ」などを頼りにいろいろな店にいったものだが、今のネット上の「チケットぴあ」ではその代りにならない。お店も自分でホームページを持ったりSNSで情報発信しているが、草の根的な音楽メディアが足りない気がする。
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