投稿日: Jan 31, 2014 12:47:21 AM
価値観は変えられるか?
昨日、アウトドア雑誌ビーパルの編集長の話があって、いろいろ思ったことがあった。自然志向がトレンドになっているようだが、それが個人の趣味嗜好を超えて社会思想に成り得るんだろうかどうかである。これは長年考えていたことでもあり、突き詰めると文明批判のようなことになると思う。今日の文明を永く続けたいのならば、ブレーキもかけなければならない、つまり文明は破綻に向かって突き進む性質をもっている、と考えるような文明批判があるが、平たく言うと文明が内包する矛盾ということにもなる。
私は子供のころにボーイスカウトに入っていたので、土日はリュックを背負ってテントを持って近隣の野山に出かけることが多かった。自分の子供ができる時には、自然人としての自立に必要なことを自然環境が教えてくれるだろうと考えて、幼児の頃から自然には親しませてきた。おそらくどの親も子育てにおいては人間本来の備わった能力を引き出すのは自然環境だと直感的に思うだろう。
ビーパル編集長によると、今日の子育ての特徴として、A(あぶない)K(きたない)U(うるさい)が強調されすぎて、それによる子供の体験の欠落を補うような、遊びのイベントやキャンプや教室などを、地方自治体、NPO、企業が協賛する形でいろいろやりだしていて、それの企画・プロデュースをビーパルがやっている。金の出所が企業であることが多いだろうから、商品やサービスとの接点になることはプロモーションと結びついて具現化しやすいが、それではなかなか文明観にまでは行き難いだろうなあと思った。
今いる子供に自然を体験させることの大事さと共に、親がメディアや地方自治体、NPO、企業などのお膳立てなしでも自然志向していけるようにならないと、本物ではないと思う。つまり元々アウトドアな志向のある家では代々そのようなことをしてきているわけなのだから、そのような志向を無くした家でどのように自然志向を受け継がせて、日々の生活の中でも意識が継続するようにもっていくかが課題であると思う。
いいかえると自然と共生する人間社会であるべきだという社会思想が、自然よりも経済効率に価値を置く今日の社会思想に勝てるのかどうかを考える、別次元の動きも必要だろう。原発問題もそこらへんの作戦を考えておかなければ、いつまでたっても経済効率に押されてしまうと思う。