投稿日: Oct 23, 2012 12:21:48 AM
日本のコミュニケーションの特質を考える方へ
Appleが近年失敗したものにソーシャルメディア的なものがいくつかある。正確に言うと失敗したというよりも、本気でなかったのではないかとさえ思わされる。それはAppleは意外に現実主義者だからだ。ソーシャルメディアに関しては過大な期待をした論調が今でもある。特にマーケティングに関してはソーシャルメディアの登場時点とそれほど根本的には進展していないで、期待しない人と期待を振りまく人とに2分されているのではないかと思う。これはケータイの登場の時も、またWebの登場の時も同じであった。実際に人々が新しいメディアやコミュニケーションに馴染んでいく過程で過大評価も過小評価も修正されていくのだが、ソーシャルメディアはまだそこまで至っていないのだろう。
twitterやfacebookに馴れ親しんでいる人は、それらを好きではないから使わない人のことがわからずに、眼中になくなってしまうのはマーケティング的にはまずいことである。ソーシャルメディアがよいものだと一方的に主張しても、twitterに書くことが思いつかない人、書いたことを後悔する人、他人から批判されたみたいでメゲてしまう人、無反応でメゲてしまう人、などなどネガティブなエクスペリエンスを積み重ねて離脱してしまう人のことは無頓着である。一時ソーシャルメディアに熱中していたのに、ある時突然使わなくなる人は居る。
facebookでも、他人の食事の写真など見たくないという人が居る。ばかばかしいとか腹が立つという人さえ居る。自分から言いたいことがあるとしても、あんなものと一緒に並んで表示されることは我慢ならないと言う。これは50才代以上である程度の役職の人に多い。比較的温厚な人はfacebookのアカウントはとってROMっているが、そうでない人の場合はメルマガやblogで十分なのだからそれらを使うべきだという。またblogでもなく掲示板にへばりついている人だって居るし、メールしかしない人もまだ相当居る。こういった人は単に遅れているといってよいのだろうか。
ソーシャルメディアが古いメディアと対立関係になるようなものだと、若者が社会人として活躍し世代代わりするまで社会的な効用が得られないことになってしまう。しかし世界でソーシャルメディアが広がったのは、古いツールからの乗換えが起こったからである。それが日本ではなかなか進まない理由は日本には古いコミュニケーションツールが充実していて多く使われ続けているからである。だから日本で古いツールを包含してしまうようなソーシャルメディアを考えれば最強になるはずである。話題のLINEもタイムラインにアメーバピグがあるようなところがわかりやすさなのだろう。でもこんなものはイヤだという気持ちもわからなくもない。
コミュニケーションツールは対立構造からは改善されず、飲み込んでより大きなコミュニケーションを実現させる方向で進化するのだろう。