投稿日: Nov 13, 2013 1:10:26 AM
国の役割は何か
クールジャパンを輸出振興という意味で国が本気で取り組んでいるのかどうかは知らない。確かに現代版ジャポニズムとして世界に日本のサブカルに注目している人は居るのだから、日本固有と思われていた文化現象の諸相は何らかの普遍的な価値を持つ面はあるのだろう。しかし海外で評価する人が居るから、即輸出の武器にという考えは短絡的である。
かつてはパリのモンマルトルのような近代絵画の震源地があって、世界中の絵描き志望の若者に影響を与えた。それは歴史を振り返った時にいえることで、当時は美術界の主流からは邪道としてさげすまれ、新しい画風を志す画家は不遇の人生を送らなければならなかった。大抵の場合は誰も支援してくれなかったのである。それはそれまでの美術の価値観に反するものだったからだ。
日本でも前衛芸術に進む人はそういう不遇覚悟でなければならない。その中から暗黒舞踏のように世界的に評価されるようになったものもあるが例外だろう。日本の漫画家も社会に悪影響を与えるようにいわれ、大成しなかった人も多いことを考えると似たところがあるかもしれない。いずれにせよ、創作と経済は直接関係がないというか、異文化の浸透には人の人生を越える何十年という年月がかかるものである。その時にはもう前衛ではなくなっているし、クールといわれる必要もない。コンテンツそのものの良さで勝負するしかなく、そこに至れば本当に文化の輸出になる。
村上春樹が海外で読まれるようになったからといって他の日本の小説家が評価されはしないように、今すぐ開花はしないにしても、評価される日を待ちつつビジネスの下地となる要素を溜めていくのが文化政策のはずである。
もう一点の課題は、近代絵画がアカデミズムに対するアンチテーゼであったように、欧米で日本のものをクールだという時には(時としてクレージーだともいわれるように)、欧米の既成の価値観では考えられないことをしているから注目されているのであって、そういうサブカルが欧米で受け入れられる市場は決して大きくはないことである。
ヒット曲でもとんでもないものが時折ヒットするように、たまにクールジャパンはヒットを飛ばすことがあるかもしれないが、通常はコンテンツの主流には入れてもらえないものとなるはずだ。例えば欧米はキリスト教が文化の基底にあるので、それを持たないクールジャパンはクレージーで面白いと思われても、公のコンテンツにはなりにくい面がある。
ポケモンのようなものや妖怪ものは、似たものが欧米の土着文化にもあるから、ある程度受け入れられるが、かの地における土着文化とキリスト教文化の微妙なボーダーを日本人は理解していない。つまりキリスト教文化からみて異文化のどのへんがどこまでならOKなのかというのをふまえることが市場拡大には重要なことになる。しかし個人のクリエーターがそんなことまでできるはずがない。
歌の歌詞のような言葉の問題なら、どういう表現はよくて、何がマズいかは区別しやすいが、グラフィックスやマンガはもっと曖昧なものなので、欧米にぶつける前にマーケットテストとかスクリーニングをする必要がある。ハロウィンの習慣はアメリカで発達したがヨーロッパでは受け入れない国もある。コンテンツの内容面でのチェックも結構面倒なので、クールジャパンの政策を政府が音頭とりするのなら、そこらへんのチェックを国内でできるようにして欲しいものだ。