投稿日: Jul 25, 2010 11:12:5 PM
コンテンツ立国Japanを期待している方へ
本格的な夏休みに入って、子供たちは日常の授業以外のことも手がける機会だが、昨今は次第に毎日がプログラムされていろいろとすることがあるようだ。本来の長期休暇はこういった管理から外れて小学生の自由課題のようなことができるのが特徴のはずだが、子供がなかなか自分でテーマを考えることは難しい。以前から子供向けの工作教室のようなことをしているので、どうやって子供にチャレンジさせるべきか試みてきたが、クリエイティブが苦手な理由は、日常の遊び心が足りないことにも理由があるようだ。普段登校に問題があったり、学校でやうまくいっていない子供で、オリジナルなものを作り出す場合があり、日常の「よい子」の方が自分流のものを作れないことさえある。毎日がプログラムされ過ぎるのは自由な心を作りにくいのか、その反発としてサブカル的なところに気が向くのか、そこらはよくわからない。
小学生の自由課題というと昔は絵画などがあったが、今はメディア作りというのは意外に少ない。 それでも日本の子供はマンガのような絵を描くのは得意で、色塗りをさせてもちょっとしたデザインのできる子は割りといる。見栄えの良し悪しとは別にクリエイティブ性で見ると、半数はデコレーション的なもので、半数は何かシナリオを描いてそのシーンを描くような傾向がある。前者はシナリオを考えるのが苦手な人で、手先を動かすのが好きなような子供も居て、工芸的にはきめの細かい作業ができたりする。後者は必ずしも見た目にとっつきのよいものではなくても、何か言いたそうな雰囲気とか迫力とかメッセージ性があったりする。要するには絵画的で、デザイン的には余白に近い周辺部分でもコツコツ何かを描きこんだりしている。子供の作品に賞を与えるときは、デコレーション職人志向と芸術志向のバランスをとるようにしている。
子供のクリエイティブは子供の置かれている環境に強い影響を受けている。これは親が考えて用意したものを素直に受け入れるというような単純なものではないので、親が習い事をさせても思ったほど成果が出ないこともある。小学生になると感受性的には独立した人格となっていて、幼稚園の頃までにいろいろ広い範囲の刺激に晒して置くことが重要に思える。どうしても子供には流行のものを与えがちで、それは子供が覚えやすくすぐ反応を示すから親が喜ぶのだが、それはステレオタイプの指向を植えつける危険もあるように思う。まだ幼児の間は親は子供のウケや成果で判断するよりも、子供が強く興味を示すものを一緒に探してあげることが必要だろう。
中学生にビデオ制作をさせていた方の話では、ビデオの操作や編集よりも、シナリオが一番苦手というか、できる子供が少ないということだった。これは大人も同じかもしれない。また台詞が少ないという。カメラはローアングルで、こういったことの影響はマンガ慣れから来ているようだ。マンガは台詞がブツ切りになるからだ。このこともシナリオを苦手にしているかもしれない。そうすると、作品でもやはり小説や映画などもそれなりに見ていないと、この種のステレオタイプから脱出できないだろう。しかしまず第一は生身の人間に接することだろう。夏休みは里帰りで祖父母や親戚との交流が増えるので、そこに子供の関心が持てるような機会を作り出すようなクリエイティブの「仕込み」を大人が設定してあげられれば一番よいのではないだろうか。
日本が本気でコンテンツ立国を目指すならば、幼児から小学生にかけての子供が豊かな感性表現ができる環境作りも考える必要があるのではないか。