投稿日: Jan 17, 2014 1:29:57 AM
歴史は繰り返すのか
アメリカの記事には必ずといっていいほど、「何々は、死んだ!」という表題がつくものがある。もちろん何でもそんなに簡単に死んだり滅んだりしないのだが、メッセージを伝えるのに「死んだ」という表現は有効だということだろう。日本では「活字よさよなら」と言って以来20年間は生き残っていた。今は木版と同じくらいになってしまったので産業としては死んで工芸として残っているともいえる。Webが普及してから10年ほどもパソコン通信が残ったこともある。だから「死んだ」は過去形ではなく、未来の予言のようなものかもしれない。
私の年くらいになるといろいろなメディアの「死」を見てきたのだが、その中には復活というのもしばしばお目にかかる。パラパラ漫画のおもちゃは子供の頃に駄菓子屋にあったのは覚えているが、最近そのようなものが売れていることを聞いた。復刊ドットコムを見ていると今頃このようなものに関心が集まっているんだと思うこともある。ドンキホーテやビレッジバンガードなども駄菓子屋などムカシ風の東南アジア的な店のつくりで、欧米的店舗設計の逆を行って若者を惹きつけている。中高生の頃の流行歌をオジサン・オバサンがカラオケで歌うという20-30年サイクルの循環というのもある。
大学生の時に黒人音楽の45回転盤をアメリカのサープラス業者から大量に買い込んだことがあるが、当時流行のFUNKがいっぱいあって閉口した。公園で投げて遊んだくらいだった。ところがそれから20-30年経ってネットの時代になってわかったのは、FUNKの流行が盛り返していて、当時50円くらいで投売りしたレコードが2000円とか何千円になっていて驚いた。
実は過去のまま再び売れ出すコンテンツは滅多になくて、それらをヒントにリメイクされたものが新たな流行になったりする。そしてそのファンの中には古い源流を辿るマニア的ファンも一部いて、復刊になったりプレミアがつくようになるのだろう。しかし一般には20-30年後の復活を期待して事業を途絶えさせないことは不可能に近い。自分は生きているかどうかはわからないのだから。
コンテンツに関しては過去の流行の残骸が文化の多様性の元になっているのだが、テクノロジーも似たところがあって、本当にキモとなる技術をつかんでいると、流行が変わっても別の形で花開くことがある。インキは顔料や染料などの色材を扱うが、印刷インキが減っても液晶のカラーフィルタに技術を転化できる会社もある。長く経営を続けるというのはそういう乗り越え方ができるかどうかにかかっている。
ところがアメリカは無理してまで長く経営をするよりも、事業を譲渡してでもいったんリセットして資産に変えて、新たにスタートする考え方が多いように思う。だからさっさと死を宣告して、未来のあるところでやり直そうという記事になるのではないかと思う。