投稿日: Apr 13, 2011 12:13:44 AM
毎日TVで見る光景に圧倒されている方へ
私自身は被災地を訪れたことが無いが、報道で伝えられる被災地の状況は、自分の人生の記憶と重ね合わさって、あたかもそこに居合わせたような感覚で1ヶ月を過ごした。
なかなか進まない地震・津波の被災地の復興に苛立ちが見え始めている。いつまでも自衛隊のお世話になっているわけにはいかないし、ボランティアにお任せのものでもなく、地域が主体となって将来を考えて着手するべきことである。そのために外野としては地域の人々が生活の復元とともに将来計画に時間を使える余力を生み出すようなお手伝いがしたい。民間企業や自治体の姉妹都市などの支援はニュースで紹介されるが、果たして中央官庁は臨戦態勢をどれだけとっているのか、ニュースからはわからない。確かに道路や港湾の普及など目の前の壊れたインフラの普及が緊急の課題だが、その次の段階がどうなるのかが見えない。
農水省が外郭の社団法人を作って大量に備蓄しているミニマムアクセス米などがどれだけ被災地支援に回っているのか(例えば自衛隊が配るおにぎりに使われているのではないかとか思うが)、国交省の公共工事の計画がこの震災でどのように変更されようとしているのか、文科省は学校を自治体の問題としてタッチしないのか特別措置を用意しているのか、もっと言えば各省庁の縄張りを超えて大胆に復興に動こうとしているのか、などまずは国の行うべきことが国民に知らされていないと思う。うがった見方をすると、役人は菅内閣に非協力的で、菅内閣が何万人の被災者を苦しめている状況を作り出すために、先行しては動いていないのではないかとも思える。
また町全体が流されてしまって家庭も職場も失った地域で、まったく白紙の土地にどうやって地域社会を構築するのか。半分は過去の社会の再現であろうが、将来を担う子供たちのことを考えると半分は彼らが大人になる10年後にどうやって生計を立てるのかを軸に考える必要がある。これは過去から地方で産業が興し難かったことから考えると非常に大きな課題であるが、今の白紙の状態はいろいろな過去に無い試みができるチャンスでもある。しかしビジネスとして賭けをするわけにはいかない。むしろ子供たちの教育プロセスの中に生計を立てることとか産業を興すというテーマを入れるべきではないか。
学校教育は文部省の指導要領に沿ってやっていればよいものではなく、子供たちをインフラの復興や産業の再建の現場に立ち合わせて、レポートをさせるという授業をすれば、彼らは自然に地域の将来像や自分たちの社会的役割を身につけることができるだろう。授業の半分をそのような内容にしてもいいのではないかと思う。被災地域外の大学でも社会建設や産業興しに関する学科を設けて、被災地の人、ボランティアの人、またそういうことに今回関心を強くした人たちが学んだり研究をする場を作ることも必要だろう。
おしきせの勉強をするよりも、社会問題にチャレンジする教育の方が逞しい人間を創り出すのではないか。