投稿日: Mar 29, 2012 12:50:34 AM
印刷の再定義が必要と思う方へ
今年はDrupaの年で世界の印刷関係者がドイツのデュセルドヅフ詣でを行なう。この世界最大の印刷紙加工の展示会がドイツで開催される理由は、グーテンベルグ以来の印刷の発達をドイツが中心に担ってきたからである。また紙加工においてもドイツは秀でていた。それは箱でもレコードジャケットでも帳票でも紙を加工する機械は大掛かりなものから小規模なものまでドイツで発展したからである。当然ながら印刷情報もドイツから発せられるものが多く、職業人教育も同業者組織もドイツで発達した。これらすべてはドイツのリテラシーが高かったからでもあり、それが印刷のニーズが高まった理由でもあり、ドイツの科学技術の発達にもつながっている。これによるドイツの国力の発揮は第2次大戦までで、印刷に関してはその後30年ほどは余韻で世界を牽引した。それも前世紀までで、デジタルになって以来はドイツの発明品は非常に少ない。
日本は印刷に関してはドイツを手本として、やはり第2次大戦まで突き進んだし、国も急成長した。記事『「印刷」という語の始まり』で紹介した松浦広氏の「図説 印刷文化の原点」の第五章は「日本における印刷教育の源流」としてどのような方々が海外から学んでどのように学校を作ったかを調べあげている。しかし書き出しには大学や高校から「印刷」という名称が消えてしまった今日の状況が書かれている。同様に経産省の課としても21世紀には印刷がなくなった。民間の企業としての印刷会社の屋号でも1980年代から「印刷」を名乗らない会社が増えていった。これら全体からどのようなことがいえるのだろうか。
まず国が印刷のための学科を作ったような時代と今日を比べれば、「印刷」は国家戦略にはならなくなったということであるし、学校の名前から消えたのは学生の就職先としての人気の無さを現わしている。残念なことに、では今まで教えていたことを社会にどのように再定義・再提起するかというところまでは考えずに、名称だけを「グラフィック」などに替えたところが多いことである。つまり「印刷」から逃げただけでは今後の発展は期待できない。前記事では印刷という名前が使われだした理由を考えたのだが、ここでは使われなくなった理由が浮かんでくる。
幕末・明治に活版印刷を日本に導入したパイオニア達は、別に鉛やアニチモンに興味があったのではなく、日本が欧州に追いつくのに印刷が必要だと強く感じたからである。つまり印刷を使えば社会が(日本が)どうにかなるという強い思いが印刷の教育の場から消えてしまったのではないかと思う。これは出版もマスメディアにもいえることで、その業界における社会性とか使命感の欠如が、たとえば若い人が「印刷を武器に志を建てよう」ということにならなくしているのだろう。今日においても、まだいくらか志につながるのが、「工芸」「デザイン」であって、これはドイツが先導した工業面とは異なる要素が多く、日本独自もところも強くある。幸い日本は光学とかイメージングは強いのであるから、それと「工芸」「デザイン」を組み合わせて、デジタル時代にふさわしい社会的な役割を新たに作るチャンスはある。
実は長年印刷教育の中心部分であった千葉大学も医療画像処理に力を注いでいるが、それをもっと民間のいろんな分野に技術移転する日がくるだろう。もうドイツを卒業して自分の足で歩みださなければ、未来はないといえる。