投稿日: Feb 18, 2011 11:27:38 PM
雑誌は不誠実なのかと思う方へ
近年のメディアの中で最も落ち込みの激しいのが雑誌分野であり、それは内需不振で売れないとか広告が付かないとかが理由ではなく、読者が離れているという深刻な局面にある。しかし雑誌離れを調査しても、もうひとつピンとくる分析は無い。たとえば雑誌が要らないとか不十分な理由を挙げたものに、読者の側では「欲しい記事もあるが、いらない記事も一緒に買わされてしまう」とか、広告主では「一部の読者しかターゲットにならないのに、不要な読者にも多くリーチしている」というのもあるが、本来それは承知のはずでしょ、という理由である。むしろ近年のネットメディアのようなプル媒体を過大評価した視点で雑誌を見ると不誠実な媒体に見えるのか、と考えるのがよいだろう。
雑誌の成り立ちは下図のように、出版側がこういう世界を創り出したいと考えることと、読者が金を出して欲しがるであろうことと、広告主が市場性を認めるであろうところのANDをとるようなコンセプトから始まる。しかしこれら3者の目論見がピッタリ重なる部分はほんの少ししかなく、まあ2者で同意できるところを含めても図のグレー部分のようになる。それだけでは狭すぎて満足度が低くなるので、出版意図に沿った記事、読者の関心事、広告主向けパブリシティなどを織り交ぜて企画がされる。それを「要らないものが多い」と言われてしまうとすると、中心のグレー部分を出版社がコントロールをするのがうまくいっていないことを現している。つまり上手な雑誌編集というのは刻々と変容する読者や広告主の利害を捉えて、「つかず離れず」のコントロールをすることである。
ネットのマーケティングの言い方からすると、この3つの輪がピッタリ重なることが最適化であると誤解する人がいる。しかし「つかず離れず」の「つかず」がミソで、むしろ重なり合わない部分、つまり図のグレーではなく、自分のポジションからすると期待しなかったようなところに発見があり、ビジネスの伸び代がある。雑誌が良いものといわれるのは、つまり雑誌の価値は、冗長性の中に最終的には自分たちを良い世界に導いてくれるものがあるという評価が得られることである。
しかし紙の雑誌のバランスコントロールでネットのマガジンをやっても大抵は失敗する。なぜなら紙媒体では上図の3つの円を編集長が専制君主のようにコントロールできるが、縦横にリンクの貼られたデジタルネットというのは、ネットそのものが雑誌のようなものでもあり、かつ百科事典のようなものであるので、紙の雑誌の持っていた独立した世界性をネットでは発揮できないからである。
ネットではどのようなサイトも「部分」とみなされるから、paper.liやフリップボードがウケるのだろう。このネットでの独自世界の作りにくさの反動が電子雑誌の動機になっていることも考えられる。雑誌のコントロールが難しくなっているのは、ネットメディアの広がりに抗って独自世界も作りたいし、また冗長度も必要という厳しい前提条件のもとで企画しなければならなくなったからだろう。