投稿日: Nov 15, 2010 11:45:33 PM
ネットでライフスタイルを変えるサービスをしたい方へ
人の行動に影響を与えるものとしてメディアはある。一方立派なことが書いてあるメディア、暇つぶしとして面白おかしく過ごすためのメディアもあるが、すぐ元の黙阿弥になるものもある。印刷の歴史を振り返ると、伝播された情報を受け取った人が、それを一生握り締めて暮してきた例がいろいろある。昔『怒りの葡萄』という映画で、土地を失った農民がカリフォルニアに行けば、もっとましな生活ができると思って移動する際に、辛い場面でカリフォルニアの暮らしを描いた印刷物片をポケットから取り出して見ている姿があった。大航海時代にヨーロッパ人が新大陸に移り住もうとした際にも、それを誘う印刷物が影響を与えていたようだし、日本人が満州国に移っていった際も同様の宣伝物があった。当時メディアが未発達であった段階では断片的な情報にすぎないものでも印刷物の役割は大きかった。
テレビが大衆的に大きな影響力を持つようになった時代に、人々がテレビで見た情報を「正確」で「事実」であると判断してしまう傾向が問題になって、メディアリテラシーが叫ばれた。人の生活時間をテレビは取り巻くようになったので一億総白痴化といった人もいた。悪役の役者が街を歩いていたらお婆さんから罵倒されたようなことが実際に日本でもあったのだが、一部の独裁国家以外は国民がメディアの特性を踏まえて主体的に情報を読み解くこと、つまり批判的に情報摂取することはある程度できるようになったと思える。イギリスのBBCを見ると国営放送なのにブラックジョークが出てくるので(しかもサワリをYouTubeに上げている)、視聴者のメディアリテラシーはかなりしっかりしているかなと思う。メディアリテラシーとはメディアに対する免疫力のようなものかもしれない。
ではネットのメディアに対して人は充分なリテラシー(免疫力)を形成しているのであろうか?ケータイが未成年に普及したときにいろいろな問題があって、結局は使用制限をしたわけだが、年齢的にリテラシーを持ち得ない面はあるにしても、大人の場合は既存メディアで身に着けたリテラシーがデジタルメディアにも当てはまると考えられる。ただそれぞれのメディアが使い慣れて暗黙のルールのようなものが出来るまでには、「炎上」のようなことも起こる。だから新しい情報サービスほどそうなりやすいともいえるが、それも一過性と思える。SNSやtwitterはそれ以前のネットメディアよりも混乱は少なかったと思えるし、仕組み的にも混乱を回避することは考えらている。むしろデジタル・ネット時代のメディアリテラシーは、情報受容者側の問題ではなく、情報提供者側の問題になって来ているように思える。例えば安心して使えるなど利用環境を用意するのは情報提供側になるからだ。またソーシャルメディアの運営側は発言者や発言内容と無関係では居られない点からもメディアリテラシーを再考する必要がある。
今日では情報は受容者側から選択されるようにシフトしつつあるので、マスメディアの影響力は減って、BlogメディアやSNSが影響力を増しているが、これらは自然発生的に成長してきただけでメディアの自覚は必ずしもないと思う。冒頭の印刷紙片が人の思いをつなぎとめたようなことが、今度はネットでライフスタイルを変えるものとなるのか? などにもっと頭を使わなければならなくなってくるであろう。ネット上で新たな情報環境を提供できるのは、既存メディアの会社とは限らない。自分の感じている範囲で言えば、Googleが情報のリーチをものすごく広げてくれたことが一番の出来事で、ネットで一番お金を使ったのはeBay、一番楽しませてくれたのはYouTube、一番役に立ったのはWikipedia、というところが大きな変化で、Amazon.comで本を買うのは大したことではなかったし、これらに次ぐ利用度のサービスと「一番」たちとは大きな段差がある。
人の物真似だけで人生を終わらせたくないなら、なんか「一番」になれるものを追い求めていかねばならないし、デジタルメディアはまだ当分はフロンティアであるだろうから、そこで自分の夢をもつことはまだまだ可能なはずだ。